小原啓渡関連 - メディア情報

2006.07.13

『電視游戲科学舘 ロングランに向け試演』日経新聞/2006年7月13日

チェック Check
一度の公演が数回にとどま
りがちな小劇場の演劇を二、
三カ月は続くようなロングラ
公演に育てる試みが、大阪
市住之江区の造船所跡につく
られた劇場「black c
hamber」で始まる。
大阪の小劇場オーナー有志
らが集まったロングラン公演
推進委員会(小原啓渡代表)
京都の劇団
電視游戯科学館
が今春発足。資金面を含めて
制作を支えるシステムを作ろ
うとしている。劇団が企画中
の作品概要を投資家らに説明
する「バッカスオーディショ
ン」を設定。本公演前に「卜
ライアウト公演」(試演)を
行い、観客の声を参考に作品
2層のステージで上演
する 「ISANA」
「電視遊戲科学館」が十五日
から同劇場で上演する「IS
ANA」。ある日、深海を照
らす灯台が消え、眠っていた
怪物たちがうごめき始めた。
混乱を鎮めるため、一組の少
年少女がともしびを求めて旅
に出るという話。 登場人物の
成長と人類の進化を重ねて描
く作品だ。
今回の舞台は二十三日まで
に計十回。同劇団は「やっつ
け仕事で年二、三作上演する
のではなく、納得のいく作品
を作り上げたい」(脚本・演
出担当の国本浩康)という思
いでトライアウトに名乗りを
上げた。「いつまでも心に残
り、行動に影響を与える神話
のような作品にできれば」(国
を改良できるようにする。
その第一弾が、京都の劇団本)と考えている。
科学館 ロングランに向け試演

2006.07.01

『廃墟から、次世代アートの「実験劇場」へ』服飾手帖/2006年7月1日 夏号

NAMURA
クリエイティ
から、次世代アートのへ。
ART MEETING 20042034
01
服飾手帖 2006年7月1日発売 (夏号)
30カ年計画という、前代未聞のアートプロジェクトが、2004年から
大阪市住之江区の工場を舞台に進行中だ。 30年とは借地期間の
基本単位であると同時に、親子の年齢差にほぼ相当する世代の単位で
もある。いわば、次世代を見据えてアートの可能性を検索しようとす
このプロジェクトは、今日本でもっとも先端的な実験アートなのだ。
写真右から、4階建てのビルをコンパ
ージョンして作られたギャラリー。
のイベント時には、名村造船所の
歴史を知るための資
された
土地株式会社)。 ホワイエで
アーティストユニット"ral プロデ
ュースによるカフェスペースを
ティーが行われた。 対岸の中山製鋼
実行委員によるミーティング「NAMURA
ART MEETING vol.001 そして30年の
実とは」。右から実行委員会代表 小原
実行委員、木ノ下智恵子、
2階の工房スペース。
八久保敬弘 写真
NAMURA ART VEETINGR
大阪の住之江 かつて重厚長大産業が日本の経済成長を牽引した時
代に、表舞台に立った臨海工業地帯がある。 その一角、 木津川べりに
あったのが名村造船所大阪工場。 4万2千平方メートルにも及ぶ敷地内
には、200m級のドッグ、船台を各2基をもつなど、70年代までは西
日本有数の造船所として稼働していた。 しかし、 その後さらに大型化
する船舶業界の需要に応えるため、同造船所は佐賀県に移転する。 89年
には完全退し、同社は土地を所有者である千島土地に返還。 その後は、
施設の一部をスタジオとして利用する以外は、ほとんど再利用、 再開
発の計画が決まらないまま、15年の歳月が過ぎていた。 そして、この
空間をアートの実験劇場にしようと考えたのが、アート・プロデューサー
として八面六臂の活躍をする小原啓だった。
真正面に、巨大な製鋼所が威容を見せている。それは、「ブラック・
レイン」 (リドリー・スコット監督作品、1989年) のロケ地にもなった
ところ。その一部には、寿命を終えを待つばかりの高炉もある。
重工業生産設備がかつて形成した、ある意味で非現実的な風景その
廃虚の異様な空間に、小原は大きな可能性を感じ取った。
すぐに小原は、 芝川氏にここをアートスペースとして活用する企画
を提案。 関心を示した芝川氏は、なんと30年間無償で提供することを
約したという。 2004年初めのことだった。 その後小原は、関西の
アートシーンで旬な活動をしている3名に声をかけ実行委員会を結成、
こうして動き始めたNAMURA ART MEETINGは、壮大なアートプロ
ジェクトとして同年9月に第一回のイベントを開催した。 昨年は、
きっかけは、ある著名人のパーティで千島土地の芝川能一専務の新らを招いて 「臨界から臨海へ」 と題するシン
代表取締役) と出会い、同氏が名村造船所にもっていたプライベ
ートバーに招待してくれたことだった。 後日、住之江の現地へ向かった
小原は、敷地内に一歩足を踏み入れた瞬間、圧倒的な空間の迫力に
奮を覚える。さらに招かれたバーのテラスからは、 木津川を挟んだ
ポジウムを実施。 さらに、 常時アートに関心のある人間が集まれるよ
うに、ビルをコンバージョンして多目的ホール、カフェ、 ギャラリー、
宿泊施設などを整備、昨秋から稼働を始めた。 NAMURAは今、日本で
もっとも注目すべきアートスペースになりつつある。
black chamber]
口より徒歩10分
www.namurs.coblackchanber
NAMURA
アートが街を活性化し、 創造性が国を救う。
NAMURA ART MEETINGの仕掛人、小原啓さんに聞く。
小原こはら けいと
1960年兵庫県生まれ 1983年より
技術者として舞台に関わる。91年舞台
会社リッジクリエイティブ
アートコンプレックス
上げ、プロデューサーに就任。同劇場の
こけら落とし公演は、今や人気の
カンパニー、コンドルズ。 2004年
NAMURA ART MEETINGの実行委員会
代表 ホール back chamber.アー
ティスト・イン・レジデンス AIR
フリーペーパーP_A.N.PRESSの発行など、
幅広く活躍。
クリエーター
50人が語る
小原さんが自ら編集
するP.A.NPRESSで
過去10年間のインタビュー
をまとめた「クリエイター
50点」。
「創る」とは何か 2005年
と化した造船所跡地を、一大アートプロジェクトのホットスポ 宿泊施設の運営もその一貫です。
ットに変貌させた仕掛人が、小原啓さん。 NAMURA ART MEETINGは、 &F その「コンプレックスしていく」というテーマは、どこから出て
年一回開催の連続イベントだが、恒常的に人が集う場所になるよう。 来たものなのでしょう?
これまで多目的ホール、水上ステージ、 ギャラリー、工房スペース、
宿泊施設などが、敷地内に残された廃ビル等を利用して整備された。
これも小原さんのアイデア。 そのクリエイティブで斬新なアイデアの
源泉を探ろうと、 大阪に新しく設けられた氏の拠点を訪ねた。
KK 実は僕、 昔から歌舞伎フリークなんです。 それが高じて、鳥屋ロ
とやぐち/花道の突き当たり、 幕の中にある、役者たちの拵え
溜まり場。 早変わりをしたり、衣装や化粧を直したりする) を仕切る
仕事もしています。 これは、役者さんと直に話をしますから、歌舞伎
や狂言を熟知していないとできない、独特のノウハウとスキルを必要
とする仕事です。 それはさておき、歌舞伎と長年つきあってきて常々
考えるのは、それが世界に誇れる複合芸術だということです。
歌もあれば、「ケレン」 というアクロバティックな、 「ぶっ返り」
と呼ばれるマジック的な仕掛けなど、 その名の通り、歌と舞 (舞踊)
とわざ、芝居の融合なんです。 お話もお笑い的要素もあれば、
シリアスなものもある。そういったあらゆる要素が歌舞伎にはぎゅっ
と詰まっているんです。 僕が考える 「コンプレックス」 というのは、
(以下&F) アートプロデューサーとして多彩な活動をされ
ていますが、そのキャリアのスタートは何だったのでしょうか?
小原 (以下KK) 最初は舞台照明でした。 それから舞台監督をやるよ
うになり、さらに公演のコーディネーター、プロデューサーというふ
うに活動を拡げてきました。 この業界、足掛け25年くらいになります
が、ひとつの転機として、現在京都で運営している 「アートコンプレッ
クス1928」があります。これは、1928年に大阪毎日新聞京都支局ビルと
して建てられた建物 (設計は京都大学における建築学科創設者として ここが原点なんです。
も知られる建築家、武田五一) を、友人の
若林広幸氏が買い 8F それでは、もっと突き詰めて、そういう舞台やアート、音楽に対
関心は、どこからきているのでしょうか?
取ることになり、その相談を受けて私が企画・運営・管理を始めた劇 する
場です。ただ、劇場というと演劇関係だけをもっぱら扱っているよう
に思われがちですが、 施設名をみても分かるように、 僕のテーマは、
常に「コンプレックスしていく」こと。 実際、 僕がプロデュースする
カンパニーも、演劇なのかダンスなのか、現代美術なのか音楽なのか
よく分からないというものばかりです。 それは、名村造船所跡地で今
進めているプロジェクト (black chamber等) でも同じことがいえま
す。 つまり、アートに関わるすべての活動をプロデュースする。 アー
ティスト・イン・レジデンス (主にアーティストのための長期滞在型
KK 「創造」 に対する探究心でしょうか?以前はクリエイテ
ィビティというと、芸術家やクリエイターの特権のように思われてい
ましたが、要は創意工夫。 それは、今や企業にも求められています。
製造業でもサービス業でも、また企業家もサラリーマンもクリエイ
ティビティのある人間の力が、 企業の能力に直結する時代になりつつ
あります。 つまり、アート的感覚をもたない人間は会社に貢献できな
いし、もっといえば社会にも貢献できない。 それが国力にまでつなが
っていく時代だと思います。 ところが、 企業人は、そういう視点で
評価されることが少ない。 一方、 芸術家やクリエイターは、性
いう評価に対して、常に厳しい状況で自分に向き合っています。 実は、
10年前から 「PAN PRESS」 というパフォーミングアーツのフリー
ペーパーを編集していて、その中の連載でも、第一線で活躍中のクリ
エイターに 「創るとは何か」を問いかけてきました。そういう意味で、
アートはもっと注目されるべきだし、普通の人の生活の中に、 もっと
アート的な感覚が入ってゆくべきだと思います。 また、僕の仕事とは、
社会がそういう方向へ向かうためのものです
8F 単にイベントや舞台をプロデュースするのはでなく、社会をプロ
デュースするという感覚でしょうか?
KK そうですね。 これは実際にソーシャル・プロデュースという考え
方があって、僕がめざしているテーマの一つでもあります。 つまり、
アートの仕組みを使って、 社会をプロデュースする、たとえばアートで
を活性化させるという試みです。 一つ例を挙げますと、アートコン
ちょっと大袈裟ですが以前
プレックス1928のある京都三条御幸町は、
は人っ子一人歩かない街でした。 それが、僕たちが劇場を運営するよ
うになってから5年間で、約130店舗入ってきました。 また、あかりプ
ロジェクトというのがあって、三条通にある歴史建築(アートコンプ
レックス1928も近代建築の分野で文化財に指定されている)、その他
のビルをライトアップしたり、壁面やシャッターをスクリーンに見立
てて映像を上映するというイベントを開催しました。 昨年はそれを
50カ所で実施したのですが、 三日間の会期中になんと16万人の人出が
ありました。 NAMURAのプロジェクトも、その根底には、北加賀屋
という工場廃虚のある街を、 活性化させようという目論見があるので
す。 この分野で今、大いに危惧しているのが、梅田北ヤードの展開で
すね。 大阪を活性化させられる最後のチャンスなのですから。

2006.03.25

「三条あかり景色2005『三条あかり景色プロジェクトにおける映像のアウトリーチ』」 DiVA 2006年3月25日10号

まちづくり 経済 「三条あかり景色プロジェクト」における 映像のアウトリーチ アートプロデューサー 小原啓渡 2005年9月17日~19日の三夜に渡り、 京都の三条通 (川端三条 ~烏丸三条) 約300mのエリアにおいて、 近代建築のライトアップ とビルの外壁面や高瀬川の水面等、 約50カ所への映像照射を行う プロジェクトに、統括プロデューサーとして係った。 主催は、 京都でまちづくり活動を展開している有志で構成された 任意団体「楽洛まちぶら会」。 この会は、京都が抱える様々な課題 について語り合う討論番組 (KBS京都) 「どうする京都21」に出演 した数名によって結成された。 まちぶら会の主な活動方針は、 「まち づくり」という視点に立って、地域密着型の新しい京都ブランドの 創造を目指す事にある。 定期的に行われる会合の度に参加者は増え 続け、現在では50名を超える大所帯となっている。 京都大学と京都府立大学の経済学部ゼミ生の協力を得て実施し また交通量調査によると、2004年の初回は3万人だった動員が、2年 目の2005年には16万人に膨れ上がった。 照射箇所も2004年は約 30箇所、2005年は約50箇所と増え、5年後には150カ所の照射を 目指している。 ビル壁面に映像を照射するという手法は、 私が京都の関西日仏学 館のリニューアルイベントをディレクションした際に実施した方法 を転用したという経緯はあるが、 成功の要因の一つとして、プロジ ェクターの性能がここ数年で急速に進歩したという背景があるだろ う。ホームシアター等の広がりに伴った一般需要の伸びに相まって SPECIAL Art & Technology in Kansaiか、プロジェクターの低価格化とコンパクト化がここ数年で急激に
進んだ。 具体的に言うなら、10年前に50万円近くしたスペックが、
今やそれ以上の明るさと機能を持ったものでも10万円台で手に入
る。こうした状況は、 パーソナルコンピューターのフィールドで顕著
だが、 同じことがプロジェクターにおいても時期を同じくして起こ
ったと理解して頂ければいいだろう。
つまり、街中など夜でも真っ暗にはならない屋外において、照射
距離が長く、 大きな画面で映像を映し出すには、かなり高価なプロ
ジェクターが必要であった状況がここ数年で一変したことになる。
実際、街灯や店舗のサイン照明などが点在する市街地で、10万円
台のプロジェクターが照射する映像がどこまで鮮明に見えるのか、
不安がるメンバーも多かったが、 事前に行った照射実験で合格ライ
ンを実証する事ができ、 実施に至る事ができた。
プロジェクトのテーマは、 「新しい夜の景観」 と同時に「芸術のア
ウトリーチ」という側面がある。 アウトリーチとは、ホールや美術
館など従来芸術活動が行われていた場所から地域社会へアーティス
トが出向いて活動を行う、といった意味だが、 映像の場合でいうと、
映画館など屋内の空間に観客を呼び込むといった形から、作品が屋
外などパブリックな空間に出て行く、と解釈して頂ければいいだろ
う。このプロジェクトの例なら、目的意識をもって作品を見に来る
観客だけでなく、一般の通行人が自然なかたちで観客になるとい
う事になる。
普段、 芸術作品に触れることが少ない人々、興味はあっても実際
に足を運ぶとまではいかない人々が作品に触れる機会を持つという
意味において、 芸術の普及活動の一形態であるとも言える。
2004年の映像コンテンツは全て公募によって集めたが、2005年
は芸術科学会のCGコンテストの受賞作品やプロで活躍している映
像作家などの作品も招待してクオリティーを高める方策を導入した。
また、ただ観るだけではないテクノロジーを駆使したインタラクティ
ブな作品もリストに加えた。
今後も活動を継続、 発展させ、アウトリーチというコンセプトの
もと、ほんの一瞬でも作品に触れた人々の心にインパクトと潤いを
もたらすことができれば、まちの活性化と共にこのプロジェクトの意
味は高まると思う。そして、そうした活動にテクノロジーの進歩を
いかに活用していくかということも大きな課題だと考えている。
div
a
37

2006.02.07

『水上ステージ誕生』大阪日日新聞/2006年2月7日

水上ステージ誕生
造船所 次世代芸術創造へ
跡地活用
住之江が浮かび、次世代の芸術けの施設など
名村クリエイ
ティブセンター
名テ
・住之江区
昨年十月にオープンしたている。
区北加賀スタイル創造に向けてシ劇場にはないさまざまな
船所を活用し、ステムづくりが進められ そろえている。
アートの世界もっと
同センターは約百五十 一般の人に広げようと、
大阪や京都を中心に動か
人の客席を仮設できる
しながら三十年かけて一
大芸術エリアにつくり変
えようという壮大な計画
だ。
芸術活動のための複合
オープンと同時に演劇
「名村クリエイティブ
さ
センター」で新たに水上
まざまなイベントに使用
ンホール「ブラックチするアートコンプレック
ステージが誕生した。か ェンバー」をはじめ、バス(小社長)がされ、そのロケーション
つて大型船が製造されてカウンターからギャラ 約四万二千平方の
いたドックに可動式の床 リースペース、 利用者 所
良さからテレビのドラ
景観
やCMの撮影場所とし
ても使われている。
トで包んだ素材を使い、
新たに設置された水上 十五 の広さ。
ステージは高の発二十四枚によって作
スチロールをコンクリーられているので形は自由
組み替えられる。
センターの
レクター、椎名晃嗣さ
名村クリエイティブセンターに新設された水上ステージ
は「水上ステージ:
関西でも珍しい設備」
話し、どのようなスタ
ルを提供できるか
続けている。ドックは
津川から大阪に続い
おり、各地からで
入れ、船上からステー
燃することも可能。
ドックの周りに席を
して" "
くるなど可能性は広が
タている。
デビュー日
し、「文化という船を
こから世界に発信してい
ければ」と椎名さんは
負を語っている。
問い合わせは電話00
(ON) O
ブラックチェンバーへ。
1989年のドックとして

2005.12.22

梅田北ヤード中核施設 テクノロジカルアートに特化した劇場を打ち出す 日本経済新聞 2005年12月22日

北ヤード 日経

2005.12.22

「梅田北ヤード ITなどを駆使した劇場」読売新聞 2005年12月22日

北ヤード

2005.12.07

『巨大造船所跡を芸術発信の場に』朝日新聞/2005年12月7日

2005年(平成17年) 12月7日
水曜日
44593 号
(日刊)
朝日新聞
<C) 朝日新聞社 2005年
発行所 大阪市北区中之島3丁目
2番4号 〒530-8211
朝日新聞大阪本社
06-6231-0131
住之江の不動産会社 土地を30年無償提供
巨大造船所跡态
芸術発信の場に
ドック跡につくられた水
上ステージ。 上の建物の
中に多目的ホールもでき
住之江区北加賀屋
丁目で
跡の水面に浮かぶ、16
0のステージを設
けた。ショーを両から
鑑賞でき、来春本格的に
稼働する。
同造船所は甲子園球
より一回り広い4万2
千平方名村造船所
(本社・西区)の主力工
として、長さ200㎡
ほどの大型船台と大型ド
ックが2基ずつあった
が、70年代に造船門
佐賀県の新造船所へ移
ドック部門も8年に
土地を提供する」と約束
近所に芸術
を生み出すプロジェクト
が始まった。
その年の9月、哲学者
で芸術評論家の浅田さ
んらによるシンポジウ
ムや野外パーティーなど
のイベントが3日間に
わたって開催され、延べ
約千人が集まった。臨海
部の工場地帯にあるた
め、音量や夜間照明は白
由に使え、木津川の対岸
に並ぶ製鋼所の景観が独
特の雰囲気を醸し出し
だ。
「ナムラ・アート・
ーティング」と名付けた
このイベントは、今年も
9月に建築家の磯崎新さ
んらが出演して開かれ
た。今後も毎年開く。
「今のアーティストた
水上ステージも完成格段 完全撤退し、土地は元は、既存の島やホー
の不動産会社 千島土地 ルでは満足しなくなって
なに返された。
いる。表現方法に合わせ
かつて4万の大型津川べりにあった名村造完成。事務所や
船を造っていた広大な造船所大阪工場跡地。このどがあった4階建てビル 土地は長く利用のま
船所跡地や施設 秋、廃ビルの中に多目的の1階と2階を吹き抜け まだった。同社の芝川能
のまま使って演劇や美 ホールが誕生し、ドックにした。 客席は可動式。一社長()が昨年8月、
術など様々な芸術を表現跡には水上ステージも完ギャラリーや楽屋、工房
する空間づくりが進めら成した。
て自由に変えられるよう
な施設を望んでいる」と
これまでにジ
小原さん。
京都で劇場プロデューサャズのライブや映像ショ
をしている小さなどが聞かれ、小劇団
ん(4)に「 無償での公演など貸しホールと
スペースも併設してい
れている。住之江区の木 多目的ホールは10月にる。日月中旬にはドッグ
して予約が相次いでい
。海外からも、多様な
イベントを同時に開催す
芸術祭の会場に使えな
いかという問い合わせも考案中」と打ち明ける。
来ているという。
芝川さんは「脳な
ので、中之島など都心と
ポートで直接結ぶ構想も

2005.12.01

『今、関西小劇場が元気!!』TopStage/2005年12月号

topstage

2005.12.01

『育てのハコと活動。』Meets Regional/2004年12月

アーティストの
生産地から、
発信地へ。
ア生発
京都発のアーティストは多い。
何故だろう。 「文化的な空気があ
る」という漠然としたイメージを
「伝統芸術という土台」にこじつ
ける人もいるが、 若いアーティス
トは普通、伝統にこだわりはない。
逆に「作品を作って生きてゆき
たい」と思った時 「東京に行かな
い」という選択は、それだけで強
こだわりだ。さらに活動の場に
京都を選ぶのは、「ゆるい」「親密」
「キレイ」 「どっか刺激的」 そんな
ニオイに、嗅覚で呼び寄せられる
人なのではないか。
学生や余所から移り住んで来た
人は京都人よりもずっとこの「ニ
オイ」に自覚的だ。 そして彼らの
表現は、既存の京都の表現への反
という形をとることがある。
どんな伝統芸能でも、最初は革
新だった。 その革新はこの狭くて
深い京都の密集空間で起こる反発
から生まれるのではないか。
今はビッグなアーティストも、
その最初の一歩は小さな「実験」
からだ。 京都にはその小さな実験
の芽を護る環境がある。 手弁当で
手伝ってくれる友達や、熱く批評
を語る年長者とか。 あるダンサー
は「舞台は義理人情ですから」と
言っていた。そんな気持ちが身に
付いた人達に見守られている安堵
と緊張感が、作り手の動機になる。
最近、特に京都で盛んなのがダ
構成・取材・文/沢田岩香子 写真/川本史
ンス。 これにも京都的な環境がプ
ラスに働いている。 京都芸術セン
ターでは10月、「京都クリエイタ
ーズミーティング」 がダンスをテ
ーマに開かれたばかり。討論や公
開練習 (ワークショップ)など、
いくつもの切り口からダンスのア
レコレが紹介された。 公的機関の
熱心なサポートによる「プログラ
ム・イベント」が、作り手もファ
ンも増やしている。 これは東京で
も見られない例だ。
ダンスの盛んな街、京都から、
全国へダンスの種まきをしに出か
ける イベントが、ダンスNP
O、 JCDNの「踊りに行くぜ!!」。
京都の砂連尾理+寺田みさこを全
国に知らしめ、広島で褌デュオ
「身体表現サークル」を発掘。京
都で紹介した。「身体…」はこれ
がきっかけでブレイク中だ。
京都で生まれた新しい表現に
は、必ず次のステップが迫ってく
る。 それが 「東京進出」だったり
「海外へ」だったりした。「育むこ
とは出来ても、売る それで生活
する)ことが出来ない」。京都は
こうして「アーティスト生産地」
に甘んじてきていた。
しかし、このJCDNの活動の
ように「京都発」を片道切符にし
ない新たな動きも始まっている。
「京都は「小さな実験の成功例」
を作ることが出来る街です。 今度
はその前例をどう発展させてゆく
か。一つの成功のシステムが出来
れば、大きなスケールの事業も可
「能なはず」とはアートコンプレッ
クス1928の小原啓渡さん。「電
視游戯科学舘」「キュビキュピ」の
ロングラン公演への一般からの投
資ファンド化して販売。 投資者
にリターンをもたらし成功例を作
った。 小原さんはさらに本格的な
投資システムを構想中。
その夢の先にあるのは「三条通
ブロードウェイ化計画」。 京都
での成功例が大きく成長してまた
京都に帰ってくる日は近い。
REPORT 4
THEATER/SPACE
育て系のハコと活動。
都では「主の顔が見
京えない」 ハコは信頼
されない。 ハコはそ
れ自体個性を持っているのが
当たり前。作り手とハコやプ
ロデューサーとの関係は、き
わめて密だ。 仕掛けに熱心な
ハコや活動体に、パフォーマ
ーからの信頼は熱く、ゆえに
その発言力も大きい。 「京都
発」を掲げ、全国シーンにハ
ッパをかける偉大なる裏方の
手腕が、少々奥ゆかしいとこ
ろがチャームポイントな京都
クリエイターの明日の希望だ。
Jが配
デス、その成功例の先は?
アートコンプレックス 1928
エリア map P16-B-3
キュキュ
術の提案から劇場システムの実験に胸を
者を泣かせるドーム型。これが劇団
ガスに求める視点でダイナミックな構想

2005.11.25

『金沢創造都市会議 都市の遺産、財産に磨く』北國新聞/2005年11月25日

(1)
12版
明治41年1月14日 第3種郵便物認可
40560
【日刊】
北國新聞
北國新聞社
金沢市香林
富山本社 番号案内 (076)491-8111
〒930-8520 富山市大手町5番1号
北國新聞社 2005年
都市の遺産、財産に磨く
一が、結果的に金沢の遺産 本文化研究センター教授
が光り輝き、財産となっが総括した。冒頭、澁谷
日本全体、さらには世亮治金沢経済同友会代表
世界にアピールすることに幹事が開会あいさつし、
「通じる」と強調した。 福光松太郎副代表幹事が
金沢創造都市会議は、 金沢創造都市会議と金沢
金沢の新たな都市像を提 学会の経過を紹介した。
金沢創造都市会議が開幕、県内外に発信する最終日の二十五日に
ため、金沢経済同友会が は、全体会議を行い、「金
金沢らしい都市づくり」の金沢全日空ホテルで開幹事は「都市遺産の価値定試験でふるさとを知ら一九九七年に提唱した。 沢創造都市会議1宣言」
を考える第三回金沢創造 幕した。「都市遺産の価 創造」の趣旨についてないことに気づく効果 二〇〇一年に第一回会議を採択する。
都市会議(同開催委員会 値創造」を総合テーマに、 「都市の遺産を財産に変や、欧米で知名度の高い が開かれ、提言や成果を開催委員会は金沢経済
主催、北國新聞社など後 歴史文化に根差した固有えることだと考えてい仏教哲学者の鈴木大拙、具体化する金沢学会と交同友会、石川県金沢市
援)は二十四日、金沢市の地域資源を活用し、都る」と説明。そのために金沢が国内生産の99%を互に開催されている。 などで構成され、北國新
心再生につなげる方策をは、都市遺産に「気づくこ占める金箔の「価値」を分科会では、「都市遺産 聞社のほか、北陸放送、
と大切にすること、見再認識することの重要性の使いみち」「都市遺産 テレビ金沢、エフエム
で演じる」「都市遺産か 川、ラジオかなざわ、金
「都市遺産の価値創造」を
テーマに議論を深めた金
探った。
沢創造都市会議
基調スピーチで、飛田
金沢市内のホテル秀一金沢経済同友会代表
【3面に関連記事】 つけること」の三要素を指摘した。
飛田代表幹事は「このらの刺激」をテーマに議 沢ケーブルテレビネット
ポイントになるとした。
具体例として、金沢検 三要素を積み重ねること論され、川勝平太国際日が後援している。

2005.11.24

『金沢創造都市会議 人の心を育てる街に』北國新聞/2005年11月24日

2005年(平成17年)
11月24日 (木)
発行所 北國新聞計
家北國新聞
第40559 HOKKOKU SHIMBUN
080-9521260-2581
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國
新
聞
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人の心を育てる街に
金沢創造都市会議
遺産の価値に気づけ
地に住む人たちにそれほ箔を打った歴史を紹介しを金や銀などの貴金属にが論じた禅の美学を紹ではないか」と持論を展し、「金沢の内外の人と
三十四日開幕した金沢創造都市会議では、都市全体を造形美として捉え、歴史的な遺産と創
ど重要だと認識されていた。「隠れ打ち」で競争 変えようとした錬金術に介。「太平洋側から消え 開。 魅力ある都市づくり協力して、金沢創造都市
造的な現代建築の融合により、都市の魅力を高める視点が示された。総括で川勝平太国際日本
ないものがある」とし、力を付けるために金沢箔例え、「もともと無いも た江戸文化のエッセンスには、遺産の価値を目利 会議を形づくっていこ
文化研究センター教授は「都市のたたずまいが人をつくり、その人たちが都市のたたずまいを
禅を世界に広めた金沢出の技術が向上し、国内生からテクニックをろうが残っているのが金沢 きできる人材が必要とう」と締めくくった。
「つくる」と述べ、人を育てる都市をつくる重要性を指摘した。
【 1面に本記】 身の鈴木大拙と、金箔を産量の99%を占めるまでして作り上げることは不だ。これが都市の美しさ
具体例に挙げた。 になったことを「一つの可能だ。この地にあるもになっている」と指摘し
|は観光という言葉が入っ白山の世界遺産登録運動 金沢箔については、徳 奇跡である」と評価した。のの価値を見い出すこと。
ているが、「観光よりも、 を取り上げ、「世界遺産 川幕府が加賀の箔打ちを 飛田代表幹事は、価値が、価値の創造になるの さらに、金沢創造都市 建築家の伊東豊雄氏 た価値を生むこともあ
話し合いが想像しなかっ
受験者がふるさとの歴史を目指す運動とは、歴史 禁止し、職人がひそかにの創造について、卑金属ではないか」と説いた。 会議で都市全体を都市遺 は、仙台市のせんだいメる」と対話の効用を強調
や文化の厚みを認識するが積み重なった遺産を大
産と捉える視点が提示さディアテークを手掛けたした。日本は建築物を単
ことが重要だ」との考え切にすること」と強調し
れたとし、「日本は欧州際、ガラス張りの建物になるハコモノと考えがち
から観光の文字を外した。その上で石川県教委
に近い。 温故知新のよ
反対する住民と議論しなとし、文化としてとらえ
た経緯を紹介した。
がらつくり上げた過程をる視点を提言した。
や金沢市が金沢城跡、辰
川勝氏総括「金沢検定が出発点」 うに、古きをたずねて新紹介。今は街のシンボル イベントプロデューサ
その上で、「試験は難巳用水などの史跡指定に
しいものをつくるのが欧 となっているとし、「建の立川直樹氏は、外部
しかったという話だが、向けた調査を始めたこと 総括で川勝氏=写真=なければならない。それを体系的に学ぶことの 重州だ」と述べ、歴史や伝
住む人の力量にかかる
金沢を知っているつもりに触れ、「都市遺産を大は「これからは、人の心には、地に足の付いた生 要性を説いた。 |統文化を生かしたまち
いた受験者が、実はあ切にする空気を醸成し、 を育てる都市づくりをし活者の学問が必要であ川勝氏は「創造すべきづくりが必要だと強調
分科会3
築家は何をするか分から
ないとみられやすいが、
都市遺産からの刺激
生活者の学問が必要
まり知らなかったと気づ行政に具体的に動いても
いたことが大変なプラス らうことが大事になる」
である」と述べた。
「大切にすること」で
と述べた。
「見つけること」につ
は、金沢経済同友会が提いては「もっと高く評価
|唱した金沢の文化遺産とされるべきなのに、この
分科会1-
基調スピーチ
冒頭の基調スピーチ
で、飛田秀一金沢経済同
友会代表幹事は「都市遺
産の価値創造」のポイン
トとして「気づくこと、
金沢の個性を生かした都市づくりが議論された金沢創造都市
会議の分科会
=金沢
市
内のホテル
大切にすること、見つけ
ること」の三要素を挙げ、
議論の材料を提示した。
「気づくこと」の一例
として触れたのは二十日
の金沢検定試験。各地の
「ご当地検定」の名称に
り、まだ体系化は価値とは真、善、美でした。
されていないが、り、特に美が大事だ」 と 金沢の文化遺産と白山
金沢検定の実施でした上で、飛田代表幹事の世界遺産登録運動にも
●出発点に立った」の基調スピーチを受け、触れ、「すべてが一体の
と述べ、ふるさと 金箔の美しさや鈴木大拙 複合遺産と言えばいいの
なく、修復技術の向上に分科会2-
語った。杉浦幹男UFJ
も役立っている」と述べ
|都市遺産の使いみち
総合研究所主任研究員
た。その上で、出版物の
都市遺産で演じる
は、公害の町から文化の
ベルギーの歴史的建築 作成や都市遺産の日を設 佐々木雅幸大阪市立大町に脱皮したフランス・
物の保存を説明したりェ定することで、市民にも 大学院教授は、歴史的なナント市の文化施策を紹
ージュ大のジャン・アン歴史的遺産に対する認識 都市遺産だけでなく、工介。音楽祭などで「文化の
グルベール名誉教授は、が高まっているとした。 業化が進んだ近代以後のイメージが定着し、人口
自治体に設けられた都市 大内浩芝浦工大教授は 工場跡など負の遺産を評が増加、地価も上がった」
遺産部局や研修施設を紹都市遺産について、「文価、活用し「都市の中に実との調査結果を述べた。
介しながら「歴史的建造化遺産として扱うのでは験的な創造の場をたくさ 小原啓渡アートコンプ
物の価値を高めるだけでなく、幅広い概念で考えん作ることが必要だ」とレックス1928プロデ
創造と伝統との融合を 都市のすき間に創造性
なければいけない」と指
摘。さらに「ノスタルジ
ックで古いものを単に残
すだけでなく、新しいも
のへの挑戦も失ってはい
けない」と語り、金沢21
世紀美術館を例に「兼六
園のそばといった歴史的
舞台装置の中に美術館が
あるところにおもしろさ
がある」と述べた。
三宅理一慶大大学院教
授も「歴史遺産の保存だ
けでなく、良質な現代建
築が存在することで街が
「発展する」とし、創造と
伝統との融合性の重要性
を指摘した。
ューサーは、大阪や京都
の古いビルや造船所をア
ーティストの活動の場に
改装したり、人材も機材
も市民持ち寄りで京都の
街を映像で埋めたイベン
トを紹介し「創造性のあ
る人間が都市に創造性を
「生み出す」と強調した。
杉浦氏は「近代の負の
遺産が捨てられることで
都市にできたすき間をア
アーティストたちが埋め、
新たな価値を創造してい
る」と指摘し、佐々木氏
は「すき間を埋める仕掛
人を金沢でも育てなけ
ればならない」とした。
の力を活かした街づくり
を提案した。 地域連携が
希薄だった諏訪湖周辺
で、美術館の深夜一斉開
館を成功させた体験を語
り、「何も知らない外の
人間だからこそ出来るこ
「ともある」と話した。
金工大教授の水野一郎
氏は「まれ人来たる」と
の表現を用いながら、住
民と外部の人間の対話か
ら、都市遺産の価値が引
き出されると指摘。「自
分たちの遺産から何を引
き受け、何をつくり出す
かは住む人の力量に掛か
っている」と話した。
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北陸の未公開株について
値段に変化はなかった
(今村証券)

2005.11.24

『金沢市創造都市会議 「遺産」を「財産」に』北国新聞/2005年11月24日

に気づき、大切に、見つける
「遺産」を「財産」に
金沢創造都市会議が開幕
継続的取り組みが重要
金沢らしい都市づくりを考える第三回金沢創造都市会議(同開催委員会主催、北國新聞社など後援)は二十四
日、金沢市の金沢全日空ホテルで開幕し、都市遺産を生かした都心再生に向けた議論に入った。 開催委員会副会
長の飛田秀一金沢経済同友会代表幹事は基調スピーチで、総合テーマ「都市遺産の価値創造」の趣旨について 「遺
産を財産に変えること」と説明し、そのために必要な三要素として遺産の価値に「気づき、大切にし、見つける
こと」を挙げ、継続的な取り組みが重要だと強調した。
「都市遺産の価値創造」をテーマに議論する金沢創造都市会議
金沢市内の
午前11時10分、
ホテル
=24日
飛田代表幹事は、価値始めたことを紹介した。
の創造について「テクニその上で、「世界的な遺
ックをろうしても、卑金産の数々がこれまで半ば
属は金や銀など貴金属に放置されてきたが、歴史
「ならない」と錬金術に例 認識への反省も含めて、
え、この地にあるものの都市遺産を大切にしてい
価値を見いだすことが大く空気を醸成し、行政に
切であると指摘した。 具体的に動いてもらうこ
「気づくこと」の具体とが大事だ」と述べた。
例として、金沢経済同友 「見つけること」につ
会が二十日に行った金沢 いては、「もっと高く評
検定試験に触れ、「難し価されるべきものが、こ
かったという話も聞く
が、受験者が金沢の歴
史や伝統文化をあまり
知らないんだと気づい
たことが大変なプラス
だ。それが都市遺産の
価値創造の手助けとな
る」と語った。
「大切にすること」で
は、金沢経済同友会が提
唱した世界遺産登録運動
によって、石川県教委が
金沢城跡と戸室山の石切
丁場、金沢市が辰巳用水、
惣構堀、前田家墓所の
史跡指定に向けた調査を一
一の地に住む人たちにそれによって、結果的に金沢」と交互に開催されてい
ほど重要だと認識されての持つ遺産が光り、輝き、る。
工実績 全国No.1
5,910棟の施工実績 会社
「いないことがある」とし財産となって日本全体、 冒頭、開催委員会長の
た。具体例として欧米で世界にアピールできるこ澁谷亮治金沢経済同友会
知名度の高い仏教哲学者とにつながる」と説いた。代表幹事があいさつし、
鈴木大拙と、金箔の二
実行委員長の福光松太郎
午後から分科会
一つを挙げ、藩政期に徳川
副代表幹事が金沢創造都
幕府によって禁止された 金沢創造都市会議は、市会議と金沢学会の経過
金沢箔がひそかに引き継県都金沢の新しい都市を紹介した。午後からは
がれ、品質の高さから国像を提言し、県内外に広 分科会が開かれた。
内生産量の99%を占めるく発信することが目的。 金沢創造都市会議は二
ようになったことを「金沢経済同友会が一九 十五日まで二日間の日程 北陸放送、テレビ金沢、
「つの奇跡である」と評価 九七年に提唱し、二〇で開かれる。開催委員会 エフエム石川、ラジオか
した。
〇一年に第一回会議が開は金沢経済同友会、石川 なざわ、金沢ケーブルテ
飛田代表幹事は「このかれた。会議の提言や成 県金沢市などで構成さレビネットが後援してい
三要素を積み重ねること 果を具体化する金沢学会、北國新聞社のほか、る。
知って納得 外断熱工法
外断熱の家

2005.11.10

『地域クリエーターの履歴書 真の発想と価値判断の原点』FUNAIコンサルティングレビュー/2005年11月10日19号

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2005.11.01

『大阪の造船所跡地がアートスペースに!』シアターガイド/11月号

[全国地域演劇情報]
旅ゆけど、 芝居 Regional Theater Catalog
From OSAKA
大阪の造船所跡地がアートスペースに!
~名村造船所跡地アートスペース構想 black chamber~
演劇製作に個人投資システムを導入するなど、 京
都三条を拠点に新しいアートスタイルを提案し
ているART COMPLEX1928がプロデュースする新ス
ペースが、 今秋、 大阪にオープン! 梅田から約20
分の距離にある名村造船所跡地に登場したアートス
ペースは、対岸に大型製鋼所がそびえる臨海地にあ
り、松田優作の遺作 「ブラックレイン」のロケ地
にもなったという印象的な場所に建つ。 かつてのド
ックや船の製図室の面影を残す広大な施設内には、
約150名の客席を仮設できる劇場スペース black
chamber をはじめ、バーカウンターを完備したホワ
イエ、ギャラリー、 リハーサルやワークショップも
可能な小スペース、アーティスト向けの滞在型宿泊
施設など、魅力的なスペースがいっぱい。 なお、
black chamberではすでに11/12 (土) 13 (日) に
宇宙コード、 来春には京都きってのエンターテイ
ンメント劇団・電視遊戲科学館 「ISANA」 のロング
.
ラン公演が決定。 大阪に新たなアートの風が吹く!
black chamber内観
ホワイエ
11/12 [土] 13[日]
西村たけお 中村たか
当日各300円増 前
宇宙コード 「大阪パフォーマンス東京ドール」
●black chamber 作・演出・出演=小林顕作 出演
しほか 全自 2,500円/学生 2,000円 (要学生証)
ART COMPLEX、 ぴあ 問合せ-ART COMPLEX TEL075-254-6520 12
日7:00、 13日 5:00
From OSAKA

2005.09.18

「三条あかり景色2005『光のシネマ 三条通』」 京都新聞 9月18日

中京区三条通高倉角)
建物の外壁に照らし出された映像 (17日午後7時45分、京都市
条通
京都市の中心部・三条通の建
物外壁をスクリーンにして映像
を照らし出す「三条あかり景色
2005」が十七日夜、始まっ
た。 アニメーションや無声映画
など多彩な映像が浮かび上が
り、市民は現代的な「夜景」
足を止めて眺めていた。
まちづくり団体の「楽洛まち
ぶ会」が企画し、昨秋に次い
で二回目。同通の三条京阪から
壁面50ヵ所に
アニメなど投影
両替町通までの約一㌔の街並み
をライトアップし、アーティス
トの映像作品を五十カ所の建物
に照らし出した。
ビルや商店の外壁にはアニメ
ーションのほか、人体の仕組み
をグラフィックで表現した学術
的な映像も流された。時代劇風
無声映画が映し出された場所
では、通行人が道路に座って眺
める姿も見られた。イベントは
十九日まで行われる。
光の

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