小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.05.10

「む」、「無」で。

「無」とは物理学、哲学、数学的にも難解な概念ですね。

僕なりに「無」を検証すると、一つの経験が浮かび上がってきます。

現役で照明家をしていた頃、琵琶のソロコンサートの照明をしたことがあります。場所は京都、とあるお寺の庭でした。

苔むした庭の古い梅の木の下で琵琶奏者が一人という、絵になるシチュエーション、照明家にとってはかなりやりがいのある仕事でした。

庭の景観を壊さないために、照明機材は客席から全く見えないように配置し、庭の土塀や木々、灯篭などを背景に、メインの梅の木とその下の奏者がぼんやりと浮かび上がるプランを立てて本番に臨みました。

本番前、辺りが暗くなり始めた頃、背景の土塀の上に満月が現れました。

演奏が始まり、控え目な明かりでこちらもスタートします。

すっかりと日が落ちて、僕は段々と苛立ち始めていました。
微妙にゲージ(明かりの強さ)を調整しても、頭の中で立てていたプラン通りの明かりにならないのです。

原因は、満月の明かりでした。

通常、照明をプランする時は、真っ暗な状態をベースに考えます。

僕は、本番が始まってしまってから、自分のミスに気付きました。

演奏の後半、僕は徐々に徐々に明かりのゲージを落としていき、全ての明かりをゼロにしました。

その時、まさに自分がイメージしていた、納得のいく明りが出来ていました。

演奏会は大成功に終わり、終演後、観客で来ていた舞台関係の知人数人に会いました。

その彼らが口をそろえて言ったのが、「今日の明かり、最高でしたよ!」

さんざん時間をかけて仕込んだ機材を全く使わずに、言われた賞賛の言葉でした。

僕にとって「無」とは、何も無いということではなく、「ありのまま」という事です。

何の手も加えず、満月の明かりだけで浮かび上がった庭の情景に、
僕は「無」を感じとりました。

「ありのままが、ありのままの状態で在ること」

これが僕の「無」の概念です。

小原啓渡

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