小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.04.21

戦争

「せ」、「戦争」で。

僕は当事者として実際の戦争を知らない世代ですが、
言うまでもなく「戦争」には反対です。

ベトナム戦争の真っただ中、僕が初めてフォークギターを持ち、最初に覚えた曲は、「戦争を知らない子どもたち」でした。

そして今や、『「戦争を知らない子どもたち」を知らない子どもたち』の時代です。

ベトナム戦争に関しては思想的な影響を、イランイラク戦争にはある意味、直接的な影響を受けました。

忘れもしない1980年の9月、僕はイラクのサマラにある日本企業のプラントに約1年間、大学を休学して仕事に行く事が決まり、出発まであと2週間ほどになっていました。

当初は、大学のカメラ部の親友と一緒に行こうと決め、約半年間、集中的に二人でアラビア語の勉強をやりました。(京大のアラビア語ゼミにも通いましたね)

その甲斐あって2人とも採用試験にパスしたのですが、その後の健康診断で、友人の方に先天的な肝臓病があることがわかり、結局イラクに行くのは僕だけになっていました。

日程も確定し、友人たちが送別会までやってくれて、後は出発を待つだけの状態でした。

ところが、いきなりでしたね。

突然、イラクがイランを空爆して、イランイラク戦争が勃発してしまったわけです。
(僕が赴任する予定だったサマラは爆撃をうけたバクダットから約100キロしか離れていなかった)

当然のことながら、日本のプラントは即座にイラクからの撤退を決定し、
僕の計画は、すべて水の泡と消えました。

今となっては懐かしい思い出ですが、若い頃の僕にとって、一つの大きな転機であったことは確かで、
当時、世界的な報道カメラマン「ロバート・キャパ」に憧れていた友人も、
病気が発覚したことで将来の方向性を変え、卒業後、医大に再度入学して、
現在は精神科の医師をしています。

小原啓渡

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