小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.04.15

経験

「け」、「経験」

そこそこ年齢を重ねてきて思うのは、「経験」の価値ですね。
というより、年下のスタッフに自信を持って言えることは、
自分が経験から学んだことだけかもしれません。

歳を重ねる価値って、他に何かあるのでしょうか?
正直言って僕には他に思い着きません。

つまり、人間性やセンス、特別な技能ということを別にすると、経験から学んだことを伝えない、経験を活かした行動が見えない年長者に敬意を感じる年少者はいない、ということになります。

単なる情報、単なる知識を得るだけなら、今やコンピューターで事は足ります。

歳が上だからというだけで、自分のポジションは安泰だ(自分は偉い?)、という時代は終わりを告げつつあると思います。

もちろん、生きているということは、一瞬一瞬が経験です。
そういう意味では、
「生きた時間=経験量」とも言えるので、儒教的な教義における「年長者を敬う」という倫理感を否定するつもりはありません。

長く生きれば、それだけ多く経験を積む機会(時間)があるわけですから、20年生きた人と40年生きた人では、その密度が同じなら、当然長く生きた人の方が、経験の数、内容ともに豊かなはずです。

ただ、経験の数が全てでは無い、という事も理解しておく必要がありますし、
たとえ同じ経験をしても、個人の感性や考え方の違いから、同じ認識がされるとは限らないので、経験の内容に優劣をつけることもできません。

要は、数や内容ではなく、自らの経験、経験から学んだことを何らかの形で年少者に伝えることが、年長者の重要な役割ではないかということです。

そして、自らの経験を深く検証し、血肉にしてきた人というのは、たとえ何かを語らなくても、周囲に強い影響力(安心感など)を与える存在になることが多い。

年長者は、「年功序列」の社会システムが崩壊しつつある今だからこそ、
「経験」の意味を反芻し、年少者との関係性を今一度チェックすることが大切だと思います。

さもなければ、自分の居場所を見失い、自己喪失の危機に瀕する可能性さえあるということを、しっかりと認識する必要があると思います。

小原啓渡

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