小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.01.31

侘び・寂び

「わ」です。
「わ、い、う、え、を」、「ん」と続きますが、実際のところ、これ以降で冠頭にくる言葉は無いと思われ、「あ」行との重複もあるので、一応今回で完結です!
とりあえず、紆余曲折はありましたが何とか最後まで来ました!
元旦から1か月、毎日書き続けることができたことも、ちょっとうれしいです。

次回からは、もう一度「あ」から始めるか、「A」から今度はアルファベットでいくか(英語?)、もうこのブログをやめるか(続けろ!と思ってくれた人、ありがとう!)考えます。

最後は、かなり難解な概念「侘び・寂び」で。

外国の知人から、「侘び・寂び」って何?と聞かれることがあります。
日本語でもうまく説明できないのに、英語となると、なおさら大変!

日本独自の伝統的文化にかかわる説明は、その土壌となっている歴史的な解釈も必要になり、かなりの知識が必要です。

今後のためにも、一つここでまとめてみようかとも思いましたが、やはりこのブログらしく、僕が経験の中で感じたものだけを少し綴ってみたいと思います。

数年前、フランスでの長期出張から帰国した日が、たまたま京都の「大文字」だったことがありました。

長く海外にいると、目が洗われます。
つまり、日本の「あたりまえ」から少し離れることができるということです。

いつも通る三条大橋からの眺め、加茂川、東山、古い町屋・・・
「日本に京都があってよかった」というコピーがありましたが、帰国後、1日、2日は日本の伝統文化の何もかもが新鮮に見えます。

その日も・・・・

提灯が連なる先斗町の狭い通りを、まるで初めて京都に来た観光客のように歩き、加茂川べりへ。

浴衣姿の小さな女の子が、お母さんと花火をしていました。

「絵になっている」ってことばがありますが、まさにそんな情景に思わず立ち止まって、見入ってしまいました。

疎水にかざした女の子の小さな手の先で、パチパチと幽かな火がはじけています。

「線香花火」でした。

一瞬、息が止まって、
何か大切なものを見た気がしました。

確かに、ことばで「侘び・寂び」の意味を伝えることは至難かもしれません。
しかし、生活の中に消えずに残ってきた、そんな線香花火の「はかなさ」や「わびしさ」、質素であり、静寂さえ感じさせる趣は、言葉以上の何かを私たちに伝えてくれます。

学術的な話は別にしても、実はこんなところに「日本文化の継承」があり、日本人の遺伝子に組み込まれた「美意識」の本質があるのかもしれませんね。

小原啓渡

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