小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.08.03

間(ま)

「ま」、「間(ま)」で。

日仏共同プロジェクトでコンテンポラリーダンスのカンパニーを立ち上げた時、そのカンパニー名を決める会議がありました。

以前から「間(ま)」の概念に興味を持っていた僕が、アメリカ人でフランス在住の振付家に「間」は、英語とフランス語では何と言うのかと質問すると、適切な語彙が見つからないという答えが返ってきました。

そこから、様々な「間」に関する議論が展開し、結局「間と間(MATOMA)」というカンパニー名に決定しました。

「間」には、時間的な概念と空間的な概念が共生しており、時間と空間を創出する舞台芸術においては特に重要な概念であり、この「間」をどう捉え、どう作品に組み込むかが、作品のクオリティーに大きく作用するという考えから、この名がカンパニーが目指す創作の原点ともなりました。

このプロジェクトが始まった1992年、以前少しこのブログでも紹介した振付家「スーザン・バージ」と、コンテンポラリーダンスの殿堂、パリの「テアトル・ド・ラ・ヴィル」(パリ市立劇場)でのプロデュース公演を成功させることが、このカンパニーの最終目標と定め、それまでは決して諦めないことを誓い合いました。

それから7年間、厳しい条件の下で海外公演を続け、遂に1998年、
「テアトル・ド・ラ・ヴィル」での公演が実現しました。
二日間の公演は全てソールドアウト、フランスの批評家による「20世紀を代表するカンパニー」の一つにも選ばれました。

日本の場合、海外で高い評価を受けると国内での評価が上がるという事例が多く、「さあ、これから日本で・・・」と思った矢先、スーザンがカンパニーの解散を宣言しました。

「これからなのに、なぜ?」と戸惑う僕に、
「ケイト、憶えてるでしょ、ここが私たちの最終目的地だったはず・・・」
スーザンはきっぱりと答えました。

当時の僕は、「MATOMA」の「間(ま)」は、そこで完全に途絶えたと思いました。

でも今の僕は、そこからまた新し「間」が始まったのだと思えるようになっています。

僕にとって「間(ま)」は、複雑で、繊細で、終りのない概念なのです。

小原啓渡

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