小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.07.22
てるてる坊主
「て」、「てるてる坊主」で。
僕が子供の頃は、お祭りとか運動会の前日、天気が怪しいと「てるてる坊主」を作って軒下に吊るしたものですが、今はどうなんでしょう?
少なくとも我が家の子供たちが「てるてる坊主」を作っているところを見た事がないし、「てるてる坊主」が話題になったこともないような気がします。
昔の予報に比べ、今ではより限定したエリアや時間帯の降水確率がほぼ正確に得られるようになり、「てるてる坊主」の出番が無くなったということだと思いますが、何となく寂しい気がします。
科学が発達して、色々な予測が正確になったことは喜ぶべきことだとは思いますが、その分、願ったり、祈ったりといった「思い」の部分が少なくなってしまったように思います。
未来に願いや祈りを込めるのではなく、データをもって予測するという方法論が進めば進むほど、社会や人はより現実的になっていき、こうした傾向は、無意識な領域における「希望の喪失」を増殖させると僕は考えています。
過去のデータを基に未来を割り出すということは、過去の延長線として未来が存在するだけで、新しい未来の創造という概念から遠ざかり、未来に対する期待や希望が持てない状況を生み出します。
そして、未来は科学者の予測する未来から逸脱することが出来なくなります。
見え過ぎる未来は、人々から活力を奪い、諦めを蔓延させる危険性を含んでいるのです。
僕にとって「てるてる坊主」は、純粋なる「希望」の象徴です。
今、子供たちに、科学を学ばせるのと同じように、「思い」や「願い」や「祈り」の大切さを伝える努力が必要な気がしてなりません。
小原啓渡