小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.02.27
農繁期
「の」、「農繁期」で。
今はあるのかないのか不明ですが(おそらくないと思います)、僕が小学生の頃、田植えと稲刈りのシーズン、つまり「農繁期」の10日くらいは、学校が休みになっていました。
農業が中心の田舎町だったこともあるとは思いますが、私立ではなく公立校でしたから、あのシステムは国で定められていたんだろうかと不思議に思います。
とにかく、この農繁期の連休には、子どもたちは否応なく家の農作業を手伝わなければならないわけで、これって、とてもいいシステムだったと思うんです。
昔の農作業は、ほぼすべてが「人力」
田植えは、苗を一束一束手で植えていたし、稲刈りも鎌で刈り取っていました。
田んぼを耕すのも耕運機ではなく、牛でしたね。
今なら、田植え機や稲刈り機があるので、一人で何人分もの仕事が出来てしまいますが、昔は本当に猫の手も借りたいくらいの忙しさだったのだろうと思います。
当然、子供も作業に駆り出されるし、近所の人たちも協働しなければならなかったんですね。
それくらい、大変だったんだろうとは思うのですが(実際、僕も嫌でした)
今となっては、とても思い出深いし、そこから学んだことも多かった。
まず、家族がそろって何か一つの作業をする機会って今ではほとんどないですし、ご近所さん(隣保って言ってました)との実質的な交流もない。
つまり、子供が仕事をしている親の姿を見ることもなく、実際自分たちが仕事に汗を流すということも基本的にないわけです。
思い返してみると僕自身、こうした作業をする中で、大人ってすごいな?と感じたり、コミュニティーを知ったり、自然を体感したり、労働の後の握り飯のおいしさを実感したり・・・
ほんと色々な実体験をしたと思います。
机の上での勉強も大切ですが、こういったことを学ぶことも大切ですよね。
機械化は確かに人の生活を便利にしてきましたが、
効率と機能性だけを追求することで人間が失ってきたものを見直すことって、
今の時代、特に重要なんだろうなと思います。
小原啓渡