小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」

2008.10.03

番外

あまり飲み会というのが好きではないので、そういう機会を意識的に避けているところがありますが、実際そうも言っていられないこともあります。
昨日に引き続き今日も飲み会。
行けば行ったで有益ですが、さすがにまともにブログが書けません。
ということで、今日は久々の「番外」

小原啓渡

2008.10.02

よい子

「よ」、「よい子」で。

今日はある行政関係の文化振興会議があり、その後いつものように二次会に流れました。

この会議の委員をしているメンバーがかなり変わっていて、みんな異様に熱い。

こういった会議は(他にもいくつか委員をしていますが)普通、形式的でクールに進められることが多いのですが、このメンバーだけは2時間の会議では収まらず、必ず二次会に流れて、断続的に話が続きます。

今日も大の大人が口角泡を飛ばしつつ、眼には涙を浮かべつつ、深夜まで激論を戦わせる状態になりました。

文化施策の本来あるべき姿や、それをめぐる方法論、具体的な提案やそれに対する反論・・・、個人的な話でもないのにみんな本気で意見を出し合います。

ふと、このメンバー、決して「よい子」ではないな、と思いました。

自分の信念と哲学に基づいて、思ったことをはっきりと言う。
主催者側の筋書きや、落とし所をひっくり返すようなことも言えば、委員の間でも意見に甘さがあれば容赦なく叩く。

波風を立てない「事なかれ主義」の人間が多い中、このメンバーは執拗に本質を突き詰めようとしています。
「よい子ちゃん」でないだけに風当たりも強い、それでも自分の仕事にプライドを持って真剣に取り組んでいる。

たとえ一握りであったとしても、こういう人間がいる限り、大阪はまだ大丈夫なのかもしれません。

小原啓渡

2008.10.01

湯かん

「ゆ」、「湯かん」で。

毎月1日は全作品が1000円になる映画のサービスデーです。
僕も今日、レイトショーを観てきました。

「僕らはみんな生きている」などの滝田洋二郎監督の「おくりびと」
(主演は本木雅弘、広末涼子)
納棺師といわれる職業にまつわる話でした。

今日のタイトル「湯かん」とは、納棺前に遺体をお湯で洗い清めることで、本来は近親者が行う一種の儀式であったようですが、現在では納棺師といわれる方が簡略化して行うのが一般化しているようです。

かなり前に「納棺夫日記」(青木新門・著)という実際に納棺夫をされている著者の手記を読んだことがあって、とても感銘を受けていたので、「おくりびと」は是非観たいと思っていた映画でした。

モントリオール世界映画祭でグランプリを受賞するだけあって、じんわりと心に響くいい映画だったと思います。

僕が大好きな俳優、山崎努さんの存在感も素晴らしかったですし、特に「お泣かせ」のシーンがあるわけではないのに、何度かにじむように涙がこぼれました。

小原啓渡

2008.09.30

宿六

「や」、「宿六」で。

何となく面白い言葉だなと思って由来を調べてみると、以下の2節が見つかりました。

1?「宿六」とはもともと、「宿、すなわち自宅に六つのものを備えている者」という意味。六つのものとは、門、玄関、うだつ、欄干、床の間、倉のこと。これだけのものを自宅に持っているということは、江戸時代なら殿様にお目見えできる武士階級ということであり、転じて「世間的に認められた、りっぱな人物」ということ。

2?宿六とは「宿の碌(ろく:収入)でなし」の略で、『宿』は妻が夫のことを他人に言う際に使う俗称である(現代だと『あの人』『うちの人』など)。つまり、宿六とは仕事をしない甲斐性なしの夫など、ろくでなしな夫を妻が他人に罵る際に使う言葉である。

出展の信頼性からすると後者の説が有力ですが、僕は前者の方を支持したい。

後者だと「六」が「碌」のはずで、それなら「宿碌」でいいじゃないかと思えるし、何より女房が亭主を「内の宿六が・・」という時、そこには何となく愛があるような気がして、プラスの意味に捉えたいというのもあります。

後者の意味であっても、六つの欠点を持ったダメな夫という方がぴたりときます。

それでは、六つの欠点を考えてみましょう。

やはり、やめましょう。

少々心が痛い。

小原啓渡

2008.09.29

妄想

「も」、「妄想」で。

「妄想」も「想像」の一種で、あまりにも現実味のない想像や思い込みを、少しマイナスのニュアンスを込めて使う場合が多いですが、病理的な「誇大妄想」や「被害妄想」でなく、自己や社会の明るい将来に関してなら、一般的には現実味のないことを、大きなスケールで想像するのは悪いことではないと思います。

情報メディアや交通機関がグローバル化し、テクノロジーが急速に進む現代においては、想像さえもが現実について行けないような事態が起こりつつあります。

例えば、「こんなものが出来たらいいなぁ」と想像をしても、「ああ、それならもうあるよ」というようなケースが日常茶飯事ですし、「え!、そんなことができるようになったの?」というような驚きの情報が飛び込んでくることも珍しくありません。

つまり、生半可な「想像」では世界の先端を走ることはできないということになります。

今の時点で「妄想」だと思えるような事こそ価値が高いのかもしれません。

小原啓渡

2008.09.28

眼鏡

「め」、「眼鏡」で。

安価なコンタクトレンズが登場した当初は、みんなこぞってコンタクトに移行し、「眼鏡」をかける人が激減するという現象が起こりましたが、最近ではおしゃれアイテムの一つとしても眼鏡をかける人が増えてきているように思います。

子供のころ、僕はやたら目が良くて、逆に「眼鏡」に憧れました。
その影響があってか今でも眼鏡をかけた人、特に牛乳瓶の底のような眼鏡をかけている女性が好きで、なぜか愛しい気持ちになってしまいます。
(今ではレンズの精度が上がり、分厚いレンズなんてほとんど無くなってしまいましたが・・・)

もうかなり前に亡くなってしまった母方の祖母が、まさにそういう丸眼鏡をかけていて、とてもかわいい人でした。

祖母が子供のころは「眼鏡」はとても高価で、貧しい家の子供が買ってもらえるような物ではなかったようです。

大人になって初めて「眼鏡」をかけた時、「世の中はこんな風だったんだ!」と腰を抜かすほど驚いたと言っていました。
その時まで、祖母にとっての世界はぼやけていて、そんなもんだと疑うことさえしなかったようです。(現代と違ってそれほど情報が少なかったのでしょう・・・)

確かに、自分が見ている世界が全てだと考えるのが一般的かもしれませんが、実は微妙に違っているのかもしれないし、本質的な捉え方をすると、視点や興味や先入観の違いによって実際世界は人それぞれ違ったものに見えているのかもしれません。

小原啓渡

2008.09.27

無口

「む」、「無口」で。

とても疲れている時や何かに集中している時、一時的に「無口」になることはありますが、「無口な人」と言われたことはないですね。

会社の中でも、僕と「軽口倶楽部」を結成しているお喋り好きなスタッフもいれば、こちらから話しかけなければほとんど話さない「無口」なスタッフもいます。

どちらが良いとか悪いとかではなく、やはりそういった性質も大切な個性の一つだと思っています。

言葉だけがコミュニケーションツールではないですし、実際しゃべることが苦手な人もよく観察していると、感情が表情のかすかな動きや目の輝きに出ていることも多いですから、僕は相手が無口だからといってコミュニケーションに不安を感じることはありません。

僕の場合は、立場上みんなに気を配っておく必要がありますし、ムードメーカー的な役割もあるので、出来る限りこちらから声をかけて、出来る限り楽しく活気のある雰囲気を作ろうと心掛けていますが、過剰になって脱線することもあって、こちらの方が問題かなと思ったりします。

ただ、人と喋ることで自分の考えを整理したり、新しい考え方やインスピレーションを貰うことも多いので、特に自分と違う世代の人達や異業種の方々と話をすることは重要だと感じています。

「無口な人」というのは一般的にシャイで、性格的に大人しいけれど、きっと自分の話を聞いてほしいと思っている人も多いのではないかと思うのです。
ついつい、お喋り好きな人の方が話をリードしてしまって、無口な人が聞き役に回るケースがほとんどなのでしょう。

無口な人と話をする場合は、ある程度の沈黙は覚悟して、徹底して聞き役に回ることも大切だと思います。

小原啓渡

2008.09.26

水の都

「み」、「水の都」で。

大阪は昔から「八百八橋」と言われるように川(水路)が多く、来年はそうした街の特徴をより際立たせて大阪をアピールしようというフェスティバル「水都大阪2009」が開催される予定になっています。

僕も提案・提言するという立場で微妙に絡んでいますが、このフェスティバルに対する思いも、関わり方同様に微妙です。

まず、根本的に「水都」「水の都」というブランドを形成していこうとしている事自体にかなり無理があるような気がしています。

国内だけでも新潟市や広島市や柳川市は有名で、海運という部分も含めると横浜市や神戸市も「水の都」に含まれてきます。
海外も視野に入れると、ベニスやアムステルダムにそのブランド力で競えるとは到底思えません。

プロデューサー的な発想で考えると、やはり世界で唯一のブランドを先行して創り上げていく必要があるのではないかと思っています。

どうしても、水都にこだわりたいなら、敢えて「橋都」(橋の多い街)という造語を創って打ち出し、徹底的に「橋」にこだわってみるとか・・・、
ベガスで毎日見ることができる噴水ショー(池)レベルのものを川に常設するとか(船が通るため川では無理という指摘に対しても、資金の集め方に関しても秘策はあります)、
とにかくグローバル化が急速に進む現代においては、世界的競争力を持った、唯一独自の試みに挑戦すべきだと思うのです。

あと僕が提案したいと思っているものに、「ワークショップフェスティバル」があります。
今年100のワークショップを集めて開催しましたが、その数とクオリティーをガンガン上げていき、フェスティバル期間中大阪に行けば、安価で色々なワークショップが無数に体験できる「体験都市」「ワークショップシティー」にブランディングしていくという企画です。

はたして「水都大阪2009」がどうなるかは分かりませんが、とにかく「世界的に差別化された企画」で開催・継続されることを願っています。

小原啓渡

2008.09.25

マラソン

「ま」、「マラソン」で。

古い話ですが、中学三年の時、校内マラソン大会で優勝しました。
と言っても、自慢できるほどのことでもない。
田舎の中学校で、全校生徒のうち男子が150人くらいでしたし、正規の陸上部もありませんでした。

ただ自分にとってこのマラソン大会での優勝は、かなり思い出深いのです。

今もその当日のことをよく覚えていて、たまに田舎に帰った時、たまたま車で当時のマラソンコースの一部を走ったりすると、「ああ、ここで最後のスパートをかけたっけ・・」と思い出し、その時競り合っていた相手の激しい息づかいさえ蘇ってきたりするのです。

なぜ、あの日のことをそこまで詳細に覚えているのかと考えてみると、おそらくあの経験が僕の人生における小さいながらも初めての「成功体験」だったからでしょう。

それまで、勉強も体育もそこそこはできるけれど・・・という自分が、初めて明確な目標を立てて、自分なりに一生懸命練習し、その目標を達成できた。

大げさかもしれませんが、あの時の爽快感がひょっとすると今の自分を支えているのかしれません。

そんなこともあって、息子のマラソン大会には興味津々でした。
勉強の成績など気にしていなかったですし、父親参観などにもほとんど行かなかったように思いますが、マラソン大会だけは平日でも仕事をやりくりして応援に行きました。

小学校一年から、徐々に距離が伸びていくマラソン大会で、彼はなかなか優勝できませんでした。
それでも、僕の思いを知ってか知らずか、高学年になるに従って、大会前には自主的に早起きをして個人練習をするようになっていました。

そして、中学2年の時、念願の優勝を果たしました。(中3も優勝)

別に全国大会で優勝したわけでもないのに、僕らしくない「親ばか」ですが、あの時は本当にうれしかったですね。

親として「これで彼はもう大丈夫だ」と、漠然と思ったのを憶えています。

小原啓渡

2008.09.24

「ほ」、「本」で。

基本的に「本」は好きですが、扱いは悪いと自覚しています。

買ってすぐにカバーを外してしまうことも多いですし、ガンガン線を引いたりページを折り曲げたりします。
極めつけは、読み終えたらゴミ箱にポイ。

ただし、本当にいい本だと思えるものは、東京にいる大学生の息子に送ります。(息子からはメールで感想文が送られてきます)

読書はほとんど移動中の電車や飛行機の中だけなので、月に10冊読めればいい方ですが、速読と熟読が半々くらいです。

最初の数ページを読めば、熟読に値する内容かどうかはほぼわかります。
速読で十分だなと判断すると、例えば1時間の電車移動なら1時間で読んでしまうことに決めます。

内容の薄い本でも、2割くらいは自分が知らない情報が入っていることが多いので、その2割だけを読み取ろうとします。
真剣に速読を勉強したわけではないですが、文庫本一冊30分くらなら可能です。
逆に何日もかけて読み通す本もありますし、何度も読み返すものもあります。

1時間で読もうと決めて、目的地の少し前に一旦読み終え、その本からの習得情報約2割を最後に確認します。
目的地の駅に着いたら、ゴミ箱に捨てるつもりでいるので、もう読み返すことができません。そのため、ざっと復習をすることが記憶の定着率を高めているようです。

本をインテリアのようにずらりと並べていた時期もありましたが、今では読み返す本しか部屋に置いていません。

結局のところ、「本」が好きというより、「読書」が好きなのですね。

小原啓渡

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