小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」
2008.10.23
贅沢
「せ」、「贅沢」で。
今日はいつもお世話になっているある会社の社長さんにランチを御馳走になりました。
とても美味しいレストランで、海老フライなどはプリプリで衣が異様に薄く、お刺身も生きが良くて生魚が苦手な僕もペロリと平らげてしまいました。
昼間っから「贅沢!」と感じました。
常日頃、ろくなものを食べてないことを吐露しているようなものですが、確かに今は大阪に単身赴任状態で食事は不規則で外食ばかり。
しかも基本的に「食」に興味が薄く、時間的な余裕もないのでついつい「お腹さえ膨れればいいかっ」と、いい加減な食事になってしまいます。
ただ、それほど大したことでもないのに「贅沢感」を味わえて、満足な気分になれるというのは、ある意味で幸せかもしれないですね。
明らかに体に良くないインスタント食品などは極力避けるべきですが、「粗食」というのは、たまの「贅沢」が引き立ちますからお勧めかもしれません。
何事も卑下せず、いいように考えたいものです。
小原啓渡
2008.10.22
ストレス
「す」、「ストレス」で。
「ストレス」とは、簡潔に言うと「刺激によって起こる心身への負荷」ということですから、刺激をどう受け止め、処理するかがポイントのようです。
ある事象に対し、どの程度の刺激を受けるかは個人差があり、その刺激をどう解釈し、どう扱うかも人それぞれです。
したがってストレスに対しての万能薬は無く、他人のストレスを理解することもかなり困難であるということになります。
それでは、僕の「ストレス」対処法はというと、仕事における「トラブル」対処法と似ています。
なるべくトラブルが起こらないように常日頃からトラブルの元になりそうな事項をチエックしていて、その芽が見つかると、できるだけ早い段階で処理します。
それでも起こってしまった場合は、最良の解決方法を模索して対処すると同時に、再発しないための方策を具体的に打ち出します。
つまり、「トラブル」同様「ストレス」に対しても常に客観的に対応するということが大切なのだろうということです。
実際のところ「ストレス」の原因(ストレッサー)が「トラブル」である場合も多いですから、まずは「トラブル」を未然に防ぐことが重要で、「ストレス」になってしまった場合でも、その事態を「トラブル」だと考えて出来るだけ客観的に処理することが得策だと思います。
どうしても「ストレス」というと、自分の中に抱え込んでしまい、状況を俯瞰的に観察し分析することが困難になりますが、そこを何とか、自分の外に出して客観的に処理する。
僕が思うストレス対処法とは、こんなところでしょうか。
小原啓渡
2008.10.21
素面(しらふ)
「し」、「素面(しらふ)」で。
今日はちょっとした飲み会があり「素面」でないので、簡単に。
「素面」とは、お酒に酔っていなく、しっかりと理性が働いてる状態を言うのでしょうが、文字的に解釈すると「素」(す)の面ですから、その人本来の姿あるいは正直な意見が言える状態のはずです。
しかしながら社会の中では、「素」(本音など)を出すと何かと面倒なことになることも多く、理性を働かせて常識や規律や立場といった「仮面」をかぶった状態の方が正常で、「素面」であるとされているわけです。
もし、「素面」の反意語が「酔っている」ではなく、「仮面」なら、いったい何が良くて悪いのか分からなくなってきますね。
小原啓渡
2008.10.20
砂糖
「さ」、「砂糖」で。
家で使っている「砂糖」は、沖縄・喜界島の黒糖です。
大阪の天六に沖縄の物産店があって、いつもまとめ買いをしています。
喜界島はサンゴでできた島なので土壌がカルシウム分を多く含んでいるらしく、そのために黒糖なのに白っぽく、サトウキビの臭みも少ない。
「ネスプレッソ」というお気に入りのエスプレッソマシンで毎日飲むコーヒーによく合います。
精製されたグラニュー糖など白い砂糖は、玄米に対する白米と同様、栄養価が低く、体にも良くないらしい。
沖縄の人が長生きなのは、黒糖をよく食べるからという説もあるくらいです。
好き嫌いはあるかと思いますが、エスプレッソに喜界島の黒砂糖、一度試してみてはいかがでしょうか。
小原啓渡
2008.10.19
言葉
「こ」、「言葉」で。
「言葉」は主ににコミュニケーションツールであると理解されていますが、人は言葉を使って考えますから、思考ツールでもあるわけです。
例えばヘレンケラーの場合、2歳にして聴覚と視覚を失っているので、目に見える文字も含めて「言葉」を知らなかったことになります。
後に点字を学び「言葉」の存在を知ったとしても、言葉で思考していたとは考えにくい。
あくまで感覚的に物事を理解し、判断していたのかもしれません。
昔ヒットした「ET」という映画で、地球人と宇宙人が指先を触れ合わすだけでコミュニケーションをとるシーンがありましたが、妙に素敵だなと感動しました。
進化という一般的な概念には逆行することになりますが、原始生物のように触覚だけでコミュニケーションが成立する関係の方が、観点を変えれば、より精巧でハイレベルなんじゃないかと思うのは僕だけでしょうか?
小原啓渡
2008.10.18
経済
「け」、「経済」で。
テレビで見るニュースは衛星放送の「BBC」か「CNN」で、敢えて音声を切り換えて英語で聞いています。
僕のリスニング力は、映像を見ながらやっと大筋を理解できる程度ですが、英語のシャワーを毎日浴びるのは重要だと思っていて、最低でも一日30分は見る(聞く)ようにしています。
その両チャンネルでここ数日やたら耳に入ってくるのが、
「クライシス」と「メルトダウン」、
もちろん米国に端を発した世界経済・金融危機に関する内容です。
(キャスターの口調を聞いているだけでも事態の深刻さがうかがえます)
経済学を学んだわけではありませんが、僕なりに考える今回の経済危機の意味は、「物質的価値観の崩壊(メルトダウン)」ではないかと思っています。
発端となった「サブプライムローン」は要するに、一般人にとっては最も高額な「物」、「自分の家」を持ちたいという願望の集積だったと思います。
バブルの崩壊も同様、本質的には、「物」に対する崇拝とそれを得るための「お金」に対する異様なまでの執着心が引き起こした恐慌なのではないかと思うのです。
もちろん、「物」や「お金」が悪いとは思いません。
ただ、余りにも偏った「物質主義」「拝金主義」の結末が、お金をベースに動いている「経済」の崩壊であることは間違いないような気がします。
(これはある意味でパラドックスですが・・・)
小原啓渡
2008.10.17
くしゃみ
「く」、「くしゃみ」で。
特に女性に多いと思うのですが、「くしゃみ」をこらえる人がいます。
おそらく、「ぃッ、クシュン!」という大きなくしゃみは恥ずかしいというのがあって、習慣的に抑えるのだと思いますが、これって、絶対体に悪いと思います。
体というのはとてもよく出来ていて、「くしゃみ」は排泄すべきものを自然に排泄しようとしてる自己防衛の反応ですから、これを抑えると体外に出すべきものが残ってしまうことになります。
それ以外にも、くしゃみが発せられる時の速度はロケットが大気圏に突入する時の速さと同じだといいますから、それを抑え込むこと自体、体に大きな負担がかかっていると思います。
もちろん、唾が飛ばないように口を押さえることや、静粛にしなければならない状況などの時は、多少控えぎみにすることは礼儀だと思いますが、うちの娘などは家族の前でも反射的にくしゃみを抑え込むので、僕はいつも注意しています。
欧米の人達は、風邪などで鼻水が出ているときは食事の席でも堂々と鼻をかみますが、これも体のことを考えると理にかなっていて、良いことだと思います。
小原啓渡
2008.10.16
興味
「き」、「興味」で。
以前、経営者が集うある会に入っていたことがあるのですが、そのメンバーにとてもエネルギッシュな女性がおられて、僕は勝手に30代後半くらいだろうと思っていました。
たまたま飲み会の席で隣り合わせになって、ゆっくり話せる機会があった時、その女性が50代の後半だということを知りました。
女性の年齢はわかりにくいところもありますが、いくら誤差があっても5歳くらいで収まるのが通例で、さすがに20歳近くも思っていた年齢と違うケースは初めてでした。
非常に「興味」を惹かれて、色々ぶしつけと思えるような質問もしてみたところ、まず、整形は全くしていないということで、若さの秘訣は「か・き・く・け・こ」という答えが返ってきました。
(この辺りの答え方が、50代だなと思いましたが・・・)
「か」は「感動」、「き」は「興味」、「く」は「工夫」、「け」は「健康」
「こ、は何だと思う?」と聞き返されて、「恋ですか?」と答えると、「正解!」
彼女はこの5つのキーワードを常に意識して毎日を過ごしていて、その中でも特に「何にでも興味を持つこと」が大切で、すべてはそこから始まるのだと話してくれました。
誰かの受け売りでないことは、目の前にいる彼女自身が実証しているだけに説得力があり、「すべては興味から始まる」というのは、僕も常々感じていたことだったので妙に納得してしまいました。
おそらくこの「かきくけこ」は、女性に限ったことではないと思いますが、「誤差20歳」に挑戦するのも、うつくしさにこだわりを持つ女性にとっては、価値ある生き方なのかもしれません。
小原啓渡
2008.10.15
完璧
「か」、「完璧」で。
「完璧」あるいは「完璧主義」という言葉で思い出すのは、かなり前、偶然にテレビで見た日本画の巨匠「奥村土牛」の晩年を追ったドキュメンタリーです。
胡粉などを何度も何度も(100回とも200回ともいわれる)重ね塗りし、非常に微妙な色を出すことに成功した作品が特徴とされる奥村土牛は1990年に101歳で亡くなっていますが、そのドキュメンタリーは確か90歳を過ぎた頃の彼を撮った作品だったように記憶しています。
その番組の中で、「最近少し絵のことが分かってきたような気がします」と話している奥村土牛の顔を見て、僕は思わず息をのみました。
著名人にありがちな「白々しい謙遜」の影など一切ない、ひたむきで強靭で、純粋無垢な瞳の輝きに釘付けになりました。
アート(人間が創り出すもの)に「完璧」などあり得ないことは分かっているつもりでしたが、奥村土牛の瞳には、そんな僕の浅い理解を一瞬にしてひっくり返し、空っぽにしてからもう一度ひっくり返すような衝撃と深みがありました。
そして、「完璧」を求めて一歩づつ歩んで来られたのだろう彼の生きざまに、僕は本質的な「完璧なるもの」の姿を見たような気がしました。
それ以来、日本画に関する知識がほとんど無い僕ですが、奥村土牛の作品に出会うたびに彼の言葉を思い出し、じっくり時間をかけて鑑賞するようになっています。
「土牛」という名が、中国の詩、「土牛石田を耕す」から引用されたことを知った時の感慨も、その時見た富士の絵とともに僕の記憶に鮮明に残っています。
小原啓渡
2008.10.14
オペラ
「お」、「オペラ」で。
舞台業界に属していながら、日本で「オペラ」を観たのはほんの数回です。
理由はほぼ金額、やはり高いですね。
フルオーケストラをはじめ、舞台美術や衣装の運搬など海外からの公演となると莫大な経費がかかるのは理解できますが、やはりきついです。
その反動もあって比較的安く観られ、歴史的な劇場の雰囲気が数段上の海外では事前にネットでチケットを入手するか、現地ホテルのコンシェルジェに相談するなどして何とか確保するようにしています。
ユーロに統一される前のイタリア、オペラの殿堂ミラノ・スカラ座の天井桟敷で観た「トリスタンとイゾルデ」は、その内容も雰囲気もすべて含めて、僕にとって最高のオペラ体験でした。
どうしてもミラノ・スカラ座でオペラを観ようと思った理由の一つに、映画「カストラート」の影響がありました。
(「カストラート」とは、7歳?11歳くらいの男子を去勢することで変声期をなくし、ボーイソプラノ時の声質や音域をできうる限り持続させようとした歌手のことで、現在では人道的見地から禁止されていますが、そのピークには、毎年4,000人以上にも及ぶ男子が去勢されたとの記録が残っています)
最も有名なカストラートは、ナポリに生まれたカルロ・ブロスキ、通称ファリネッリと呼ばれ、映画「カストラート」は彼をモデルにしています。(ちなみにその音域は3オクターブ半あったといわれています)
ファリネッリの生涯をつづった内容も素晴らしかったですが、この映画のサウンドトラックは、高音域を女声のソプラノ歌手、低音域を男声のカウンターテナーが録音し、その後カストラートの声質に近づけるべく合成したというもので、これも感動モノです。(CDも出ています)
映画「カストラート」、敢えて天井桟敷でみるミラノ・スカラ座の「オペラ」、どちらも僕の一押しです!
小原啓渡