小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」

2008.11.02

ねぎ

「ね」、「ネギ」で。

僕が大学生のころ、毎日のように通っていたバーの常連に玉ねぎのような髪型をした「ねぎさん」という女性がいました。(髪形から付いたあだ名です)

年齢は30代前半くらいだったと思いますが、いつも一人で、お酒は飲まず、コーヒーだけで遅くまでいる、もの静かな人でした。

黒を基調にしたエスニック調の服装も個性的で、優しそうなのに何となく話しかけにくい雰囲気がありました。

ほとんど毎日顔を見るのに、たまに2,3週間ぱったりと来なくなる時があって、マスターにそれとなく聞くと、「あぁ、ねぎさんならまたアフリカじゃない」という答え。

気が向いたら、虫とり網一つ持って世界中の蝶を取りに出かけて行くらしい・・・。

何とも自由で力強く、それでいてエレガント、彼女に会って以来「大人の女性」というと「ねぎさん」を思い出すようになりました。

当時僕がもう一軒通い詰めていた店に「蝶類図鑑」というジャズ喫茶がありました。
雑居ビルの一角にあった狭くて暗く、小さく固い木の椅子と机がスピーカーに向かって並んでいるだけの店、薄暗い壁一面に無数の蝶の標本が掛けてありました。

その標本が、偶然にも、ねぎさんが世界各地で捕った蝶だと知ったのは、彼女と会わなくなったずっと後のことでした・・・。

小原啓渡

2008.11.01

ぬかるみ

「ぬ」、「ぬかるみ」で。

昔、ラジオ大阪でつるべと新野新がパーソナリティーを務める「ぬかるみの世界」という深夜番組がありました。

今の十代の人は深夜ラジオなんて聞かないんでしょうね。

「オールナイトニッポン」くらいは噂で知っているかもしれませんが、「ぬかるみの世界」となるとほぼ皆無でしょう。
でも、今も使っている「おじん」や「おばん」はこの番組から出た流行語です。

日曜の深夜、スポンサーがつかないということを逆手にとった、つるべと新野新の言いたい放題が面白かった。

今やテレビやインターネットが一人一台の時代ですし、ラジオを聞くとしてもFMですが、しゃべくりだけで約3時間も持たせる番組ってあるのでしょうか。

また、それを夜中におそらくみんな一人で聞いていた若いリスナー達(ぬかる民と呼ばれていた)の生活って、今時のニートっぽいところもあって、まさに「ぬかるみの世界」だったような気がします。

小原啓渡

2008.10.31

人情

「に」、「人情」で。

「義理・人情」などと言うと、昔の任侠映画のようで古いというイメージが強くなってきたと思います。
実際、言葉自体をほとんど耳にすることがなくなりました。

ただ、僕が大好きな歌舞伎はほぼ「義理と人情」の話だと言っても過言ではありません。
それほど江戸時代の日本はこの概念を大切にしていたのでしょう。

「自由と平等」のアメリカに対して、昔の日本は「義理と人情」がイデオロギー(根底的な信条)であったと考えることもできます。

僕が歌舞伎を見て感動するのは、ひょっとすると遺伝子的に残っている日本人としてのアイデンティティーに歌舞伎で演じられる物語が深いところでヒットするからなのかもしれません。

「義理・人情」という概念は「自由と平等」に比べて非常に複雑怪奇で、誰かに対して義理・人情を通すと、往々にして他の人に不義理をすることになる場合も多く、自己犠牲や理屈では説明できない不条理を内包しています。

歌舞伎によく見られる「切腹」や「子殺し」などを欧米の人たちが理解できないというのはこの辺りに理由がありそうです。

自分が歌舞伎ファンだから言うわけではありませんが、もし現代日本のイデオロギーが「お金」であるなら、少なくとも江戸時代の日本人の方がずっと美しかったのではないかと僕は思います。

小原啓渡

2008.10.30

長生き

「な」、「長生き」で。

日本人の平均寿命は女性が世界で1位(86歳)、男性が2位(79歳)なのだそうです。

「長生きしたいですか?」と聞かれたら、喜怒哀楽すべて含めて人生は素晴らしいと思っているので、「100歳くらいまでは生きてみたい」と答えるでしょう。

ただ、「長生き」に通じる質問で、「もう一度人生をやり直せるとしたら何歳から?」という質問となると「いや、もういいです」と答えると思います。

長生きしたいなら、若い時にもどる方がいいと思いますが、案外そうでもない。

「また10代からやり直すなんて、しんどい」というのが正直な気持ちです。

ということは、やはり人生は辛いということなんでしょうか。

「不老不死」というのもありますが、これも微妙です。

僕が100歳まで生きてみたいと思うのは、おそらく、自分の肉体や精神が変わっていく過程を体感したいと思っているからだと思います。

自分が変わっていくから、この世を飽きずに楽しめるという部分もあると思いますし、これはある意味で、死があるから生が引き立つというのと同じ感覚なのかもしれません。

小原啓渡

2008.10.29

途上

「と」、「途上」で。

「ON THE WAY」(途上)という言葉を大切にしています。

自分が行きたい、行くべきだと思う場所(目標)を真っ直ぐに見ていたいと思っています。

大学で講師をしてることもあって、学生から「自分が何をやりたいのか、何を目標にしたらいいのかわからない」という相談を受けることがあります。

そんなとき、僕がいつも聞くのが「正解のない選択肢問題を解いてない?」という質問です。

何かの間違いで、選択肢の中に正解が入っていなかったら・・・、いくら考えても回答は出せないはずです。

人が自分の将来に望む「夢」というのは、一般的に現実的でない場合が多い。

例えば宇宙飛行士になりたいとか、億万長者になりたいとか人それぞれ色々あると思います。
ただ、子供のころは純粋に夢見る心を持っていますが、成長するに従って現実的になり、自分には才能がないとか能力がないとかという理由をつけて、夢を諦めていきます。

ただ、その「夢」は消滅したわけではなく、心の奥底に閉じ込められているだけだと僕は思っています。

そして、「自分が何をやりたいのか」この問いに対する本当の正解はこの封印された「夢」なのではないかと思うのです。

僕は学生たちに、たとえ現実味がなくても、99%無理だと思っても、せめて選択肢の中にその「夢」を入れてみたら?と提案します。

夢とは実現することだけに価値があるのではありません。

なぜなら、実感としてある「幸せ」は過去でも未来でもなく、今この瞬間にしかないからです。
過去も未来も、僕の考えでは「幻想」です。

自分の心に正直に、たとえ99.9%不可能と思える「夢」でも、子供のようにまっすぐに見つめて生きる。

そして、今、自分はその場所(夢)に向かう「途上」に立っているという実感こそが人を本質的に生かし、至福感を与えるのだと信じています。

小原啓渡

2008.10.28

てこ

「て」、「てこ」で。

「私に支点を与えよ。されば地球を動かしてみせよう」と言ったのは、「てこ」の原理を利用して数多くの発明をしたアルキメデス。

最近では本田直之さんが「レバレッジリーディング」や「レバレッジシンキング」などの著書で、力学的な視点というより、より効率的に成果を出す考え方と方法を説いて注目を集めました。(僕も読んで、いい本だと思ったのでスタッフ全員に薦めました)

「てこ」で重要なのは、「力点」「支点」「作用点」の位置関係(間隔)で、特にアルキメデスが言うように「支点」の位置がポイントになります。

僕がこの「支点」に通じる「ポイント」の重要性を説明するときよく使うのが、机の上に置かれたコップです。

指一本でそのコップを真っ直ぐに動かそうとするとき、どこを押せばいいかという実験です。(大人なら予測はつきますが・・・)
コップの上の方を押すとコップは倒れてしまいますし、中ほどだと横にずれ易くなる。
正解は、底の部分を押すことで安定して真っ直ぐに移動させることができるという小学生がやるような実験ですが、実際にやってみると「ポイント」の概念が明確になってきます。

ただ、問題なのは日々の生活の中で「てこ」の支点や「ポイント」の位置をいちいち計算式で割り出すことなど出来ない、つまり、経験でしかその最適なポイントを見極められないというところです。

結局のところ、「てこの原理」や力学的に効率のいい「ポイント」があるという知識を持った上で、試行錯誤し、経験値を高め、予測の精度を上げるしかないという事なのだと思います。

小原啓渡

2008.10.27

ツチノコ

「つ」、「ツチノコ」で。

昨日「ツチノコ」の話が出たので、少し。

「ツチノコ」とは、蛇の一種と考えられている寸胴の未確認動物で、全国各地で多数の目撃証言が報告されています。

僕の田舎、兵庫県千種町も「ツチノコ」が目撃された場所の一つで、確か僕が小学生の頃でしたが、立て続けに何人かの目撃者が出て噂になり、最初に大きく新聞に取り上げられた目撃者がなんと僕の同級生でした。
(なんとも平和な時代だったんですね)

その後、昨日のブログで書きましたが、父が町のPRのために「ツチノコを生け捕りしたら2億円」という懸賞金をかけて全国的な話題になり(アメリカのニューズウィークの記事にもなりました)、関西の人気番組「探偵ナイトスクープ」でも取り上げられて、千種町はいつの間にか「ツチノコの町」と呼ばれるようになりました。(後追いで、懸賞金を出す町が続出したようですが・・・)

父は明石家さんまのテレビ番組にもゲストで呼ばれ、「生け捕りではなく、死んだツチノコなら、いくらもらえるんですか?」という質問に、「テレホンカード」と答えて、バカ受けしていたのを憶えています。

何はともあれ、毎日のように報道される戦争や災害、犯罪や事故の話題よりは心が和みます。

小原啓渡

2008.10.26

町長

「ち」、「町長」で。

僕の父は、家庭を顧みない人だったように思います。
ほとんど一緒に暮らした記憶はなく、幼少時の思い出もありません。

ただ、人としてどうだったかというと、自分が社会に出て子供を持ってから思い始めたことですが、「なかなか面白い人」というのが正直なところです。

僕が高校生の時、何を考えたのか父は地元の小さな町の「町長」になりました。
それから5期、20年に渡って現職を続け、結局選挙に落ちることなく勇退し、功績が認められて国から勲四等瑞宝章を頂きました。

父が「町長」になった時には既に僕は地元を離れ、下宿をして高校に通っていたので、父の仕事ぶりを見ていたわけではありませんが、聞くところによるとかなりいい仕事をしていたようです。

僕が知っているだけでも、過疎化する町にスキー場をつくり、「全国高原マラソン大会」を始め、「つちのこ」に2億円の賞金をかけて話題を呼び、京都で物議をかもした「大馬鹿門」をいつの間にか引き取ってきて山の頂上に設置するなど町のPRに尽力するだけでなく、道路網の整備や農地の区画整理、学校の改築、企業の誘致などでも業績をあげ、県政へのオファーもあったようですが、あくまで地元にこだわって仕事を続けたようです。

「井戸塀」というのを信念にしていて(曲がりなりにも政治にかかわる者は井戸と塀だけの質素な生活を覚悟しなければならない、ということらしい)、実際、退官したときは祖父が嘆くくらい、なけなしの財産も食いつぶしていたらしい。

「町長」を辞した後は、地道に続けていた能面作りに打ち込んで、今ではお弟子さんを採るまでになっています。

父と一緒にどこかに行ったことも、まともに話したことさえないですが、自分が年をとればとるほど、父のことを理解し始めていることに気づきます。

小原啓渡

2008.10.25

単身赴任

「た」、「単身赴任」で。

ここ数年大阪での仕事が増えたため、現在はワンルームのアパートを借りて単身赴任状態になっています。

自宅は京都なので、無理をすれば帰れないこともないのですが、そもそも夜11時くらいに仕事が終わるというのがこの業界の宿命で、それからちょっと打ち上げなどの飲み会となると実際のところ終電に間に合わないことが多い。

しかも自宅のマンションが京都の郊外なので、京都に帰りついても結局タクシーを使うことになり不経済で、体もきつくなる。

あとは、息子(大学生)も娘(高校生)も成長したので心配事が減り、それに伴って奥さんも外に働きに出るようになって、僕の世話をするのも大変ですから、奥さんも気楽。

まあ、そんなこんなで、たまに帰宅するくらいが良い状況になったというのが理由です。

高校生の時から一人暮らしは慣れていますし、掃除や洗濯も嫌いじゃないので苦になりません。

もともとマイペースが好きなのと、仕事で人に会うこと、話すことが多いので一人になれる時間が貴重です。

インドでは、社会に出て働き、結婚し、子供を育て上げた後に出家することが美徳とされていて、今でも多くの人が「サドゥー」と呼ばれる人生を選択していますが、何となくそんな感じかなと思っています。

基本的に今の生活に満足していますが、食事が寂しいのが難点で、奥さんの手料理が恋しくなります。

小原啓渡

2008.10.24

損得

「そ」、「損得」

本物の聖人でない限り人間なら誰しも「損得勘定」はあると思います。
ただ、「損得勘定」がその人の価値観においてどれくらいの優先順位にあるのかは様々で、何を「損」と考え、何を「得」と考えるかも人によって違います。

僕の場合は母から「損して徳とれ」と言われてきたので、「得」自体の意味が違っています。

「損得」というとどうしてもお金に関わること多いですが、少なくとも目先のお金に高い価値をおくことはなく、長い目で見た投資的な感覚の方が強い。

しかも、人として成長したいという思いが強いので、自分を精神的に豊かにするだろうと思えるものが「得」ですから、敢えて自分を鍛える意味で、他人から見ると「損」と思えるような方を選ぶことも少なくない。

もうそこそこいい年齢になりますが、今のところ、そうした価値観でやってきたことがまずかったとは思えないので、自分の経験から、こういうのもありかなと考えています。

「損して徳とれ」に関しては(以前「徳」というタイトルで書いたような気がします)、自分の母を自慢するわけではないですが、ちょっと洒落ていて、深くて、いい格言だと思っています。

小原啓渡

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