小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」

2008.11.12

「め」、「目」で。

「目は口ほどにものを言う」とはよく言ったもので、ひょっとすると口以上に真実を語る部位かもしれません。

「小原君は目が細いから、交渉事には向いてるね」と言われたことがあります。

「目の色を伺う」などとも言いますから、僕の場合は細すぎて相手からその色が見えづらいのかもしれません。

「眼光が鋭い」といった言葉もありますね。

確かに、百戦錬磨の人生を送ってこられた年配の方と話しているとき、ふと鋭い視線を感じて、心を射抜かれたような気分になる時があります。
(こういう方とお会いする時は、最初からすべて見抜かれていると思って臨みますが・・・)

「眼力」というのはまさに「真実を見通す力」「本質を見極める力」のことを言うのでしょう。この辺りのことは、自分が年齢を重ねるほど敏感に感じ取れるようになってきています。

ただ、僕が究極的に憧れ、望んでいるのは「眼力のある目」ではなく、「幼児のように澄んだ目」ですね。

「邪念のない無垢な目」ある意味で「怖れを知らぬ目」を持って死ねれば本望なのですが・・・。

小原啓渡

2008.11.11

無視

「む」、「無視」で。

今日、事務所でメールの返信ボタンをクリックするとき、「へ?んしん!(変身)」と言ったら、スタッフから完全「無視」されました。

無視された腹いせに、メールを返信するたびに「へ?んしん!!」と言い続けたら、「それって、オヤジギャグですよね」と返してくれるスタッフがいて、ひと安心。

オヤジギャグであろうがなかろうが、「無視」はいけませんね。

傷つきます・・・。

小原啓渡

2008.11.10

「み」、「水」で。

身体の水分量(成人)は男性で約60%、女性で55%で、臓器単位ならもっと多く、脳にいたっては75%以上が水分なのだそうです。

そんなこともあって、摂取する「水」には結構こだわっています。

水道に浄水器を着けるのはもちろんですが、その水をミネラル分を溶出させ、カルキを除去するという「麦飯石」(ばくはんせき)を入れた容器にしばらく寝かせた後、コーヒーなどに使っています。

直接飲む「水」は、市販のパナジウム天然水ですが、そのボトルには、水により多くの水素を溶け込ませるというスティックを入れています。

この水素水を飲むと、体内の過剰な酸素を中和してくれるらしく(活性酸素というのが体によくないらしい)、原理はよくわからないのですが、価格も安くてお手軽なので使っています。

ちなみに、一日1?2リットルの「水」を飲むのがいいという説があって、真偽のほどはわかりませんが、なるべく多く飲むようにしています。

ちゃんとした食事を採れない生活をしているので、せめて「水」くらいはと思って続けていますが、何となく、少なくとも気分的には健康な感じがしているので、費用対効果を考えても結構お勧めです。

小原啓渡

2008.11.09

マンネリ

「ま」、「マンネリ」で。

「マンネリ」とは「マンネリズム」という英語を簡略した造語ですが、一般的にマイナスのイメージで用いることが多い言葉です。

ただ、僕の場合はアートに関連する話として、「マンネリを怖れるな」とか、「マンネリが世界観をつくる」とか、プラスの意味合いで使うことの方が多い。

時には「マンネリ」であることさえ気づかない、諦めと怠惰が支配する「マンネリ」と、敢えて「マンネリ」であることにこだわり続ける「マンネリ」
つまり、逃避的な「マンネリ」と、挑戦的な「マンネリ」があると思っています。

この二つの違いは大きい。

挑戦的、革新的な気質を持った人にとっては特に、「マンネリ」は耐えがたい苦痛となります。
常に新しく新鮮なものに惹かれ、別の可能性に目を奪われる傾向も強い。

若手のアーティストに多いのが、「スクラップ・アンド・ビルド」という概念を単純に理解して、とにかく既存のものを破壊しなければ新しいものは生まれない、と壊し続けるタイプ。

たしかに、「スクラップ・アンド・ビルド」は創造に関して重要な概念ですが、そればかりを続けていては独自の世界観を構築することは難しい。

完全な「スクラップ・アンド・ビルド」の時期は大切だと思いますが、どこかの時点で潔く他の可能性を捨て、一つの核を選択する必要があると思います。
その後にやってくるのが「マンネリ」です。

この「マンネリ」に耐えかねて、構築しかけた自身のオリジナリティーを自ら壊してしまう人、「マンネリ」を耐えて、さらに深く掘り下げていく人。

ここに大きな分れ道があるような気がします。

小原啓渡

2008.11.08

本番

「ほ」、「本番」で。

今日は大阪市が所有する二つの劇場、「芸術創造館」と「精華小劇場」の連携企画「コネクト」の「本番」初日でした。

ジャンルにとらわれない新しい舞台表現の可能性を探る企画です。

結成5年未満のカンパニーに公募、送られてきた過去の作品(ビデオ)から7組を選出(第一次審査)、芸術創造館で上演(30分以内)、その中から2組を選出し、後日、精華小劇場で本公演をしていただくというものです。

この企画の面白さは、何といってもバラエティーに富んだ審査員の方々だと思います。

ジャンルを超えた作品を求めているので、現代美術家のヤノベケンジさん、grafのクリエイティブディレクター服部滋樹さん、FM802プロデューサーの谷口純弘さん、ダンサー・振付家の東野祥子さん、演劇界から川下太陽さん(昨年は後藤ひろひとさん)にお願いしました。

残念なことに東野さんが直前、リハーサル中に怪我をされ、欠席となりましたが(彼女の東京と伊丹の公演は中止)、何とか今日のコンペティションは無事終了しました。

公演終了後の飲み会は昨年同様、僕の行きつけのネパール料理店、審査員の方々も2年目ということもあってお互い話がはずみ、今日観た作品に対する感想などで盛り上がりました。

明日は残り3組の公演、最終的に優秀作2組が決定します。

刺激的な作品も多いので、お時間のある方はぜひ観にいらしてください。
https://www.artcomplex.net/art-space

小原啓渡

2008.11.07

変化

「へ」、「変化」で。

アメリカ大統領選において黒人では初めて、オバマ氏が選出されました。

「CHANGE」というのがオバマ氏が掲げたスローガンでしたが、国際世論も含めアメリカ人の過半数が「変化」を選択したことは非常に興味深い。

いつかは、白人と有色人種の人口比率が逆転する頃に、黒人の大統領が登場するだろうとは予測していましたが、これほど早いとは思いませんでした。
(キング牧師が暗殺され、黒人が参政権を得たのはわずか40年ほど前のことです)

今回、思い知ったのが、驚異的ともいえる「変化のスピード」です。

ある産業が興隆し、衰退していくといった話ではなく、全世界的な規模で、資本主義という社会構造、人類の価値観自体が大きく、そして急激に変化しているのかもしれません。

以前このブログで書いた「臨界点」が、すぐそこまで来ている。

そんな気がしてなりません。

小原啓渡

2008.11.06

封印切

「ふ」、「封印切」で。

僕が大好きな歌舞伎の演目に「封印切」があります。

はたして今まで何度観たか、自分が仕事で一カ月公演に揚幕で付いたのが5回としても約150回、若手に仕事を引き継いだ後も「封印切」が演目にあがる時は客としても見に行きますし、照明係をしていた頃も含めるとひょっとすると300回以上観ているかも知れません。
(封印切は人気の演目なので、一年に1回くらいは関西でも上演されます)

歌舞伎の仕事をしている裏方の中でも、舞台側にいるスタッフは演目を前からは観れませんが、僕は最初照明係で、その後「揚幕」(花道の幕を開閉する係)をやっていたので、常に客席側から舞台を見ていて、基本的に目を離すことはできません。つまり、通しで完璧に観ていることになります。

そして驚くべきことは、それほど観ても、全く飽きない。
それどころか自分でもおかしいんじゃないかと思うくらい、毎回泣いてしまいます。

もちろん映画などと違って、ライブですから毎回役者の出来が異なり、公演が変わると配役も変わりますから、その変化を見るだけでも面白いのですが、何といっても近松門左衛門の本がいい。
「曽根崎心中」「心中天の網島」と並ぶ3大傑作の一つですが、僕は「封印切」が一番好きです。

配役でいうと、優劣はつけがたいですが、主役の亀屋忠兵衛が片岡仁左衛門、遊女・梅川が片岡秀太郎、八右衛門が片岡我當という松島屋の三兄弟。

仁左衛門さんが孝夫さんの時からずっと見ていますし、秀太郎さんが演じる女形役の中でも梅川はベスト、我當さんの八右衛門に到っては他の誰がこの役をやっても僕は満足できないくらい素晴らしいです。

「封印切」のストーリーに関しては、以下のURLを見ていただければいいと思いますが、
http://homepage2.nifty.com/hay/meido.html
とにかく一度観ていただければ、きっとその面白さが分かって頂けると思います。

ぜひ、歌舞伎に足を運んでみてください。

小原啓渡

2008.11.05

ひげ

「ひ」、「ひげ」で。

「ひげ」を生やし始めたのは10代からで、最初はヒッピー文化に影響されて、髪も長く伸ばしていました。

仕事を始めてからは、ひげを生やしていると実際の年齢より上に見られるから、というのが理由でした。(精一杯背伸びしていたわけですね)

今はどうかというと、ネクタイをしないのと同様ちょっとした反体制というか、そんなちっぽけな自己満足と、単純に毎日ひげを剃るのが面倒だというのが理由です。

伸びてきたらハサミでジョキジョキと短く切り込むだけで手入れもしていません。

最近「セルフブランディング」という言葉を聞くようになりましたが、僕の場合、どういう風に自分をブランディングしたいかを考えたとき、外面的にはやはり「ひげ」は必要かなと思ったりもします。

「ちょい悪オヤジ」を目指す気はありませんが、仕事がら、少しはアーティスティックな感じも欲しいし、何より「自由人」でいたいと思っているので、その辺さえ出ればいいかなと思っています。

小原啓渡

2008.11.04

発想

「は」、「発想」で。

「発想(アイディア)」というと、「ひらめき」とか「思いつき」とか「直観」という言葉が思い浮かんできます。

基本的にはどれも同じ意味だと思いますが、敢えて違いを見つけるなら、「ひらめき」と「思いつき」「直観」は一瞬のもので、「発想(アイディア)」というのは、思考する時間が含まれたものだと言えるかもしれません。

「アイデアとは、既存の要素の新しい組み合わせである」とはよく言われることですが、僕はこの「新しい組み合わせ」を発見した時点が「ひらめき」であり、その新しい組み合わせに付加価値をつけたものが「発想(アイディア)」ではないかと思っています。

「ピンときた」という表現はつまり「直観」で、何かに興味や問題意識を持続的に持っていれば、誰にでも訪れるものだと思いますが、「ピンときた」だけでは不十分で、その「直観」や「ひらめき」にとことんこだわらなければ「アイディア」は生まれてこないと思います。

せっかく訪れた「直観」や「ひらめき」を、軽く扱って流してしまう人が多いような気がします。

一見、何の価値もなさそうに思える「ひらめき」も、じっくりと分析し、付加価値をつけ、少し変形させて、適応させる対象を厳選すれば「目から鱗が落ちる」ような「発想」に生まれ変わることはあるものです。

「点」から「線」に、そして「面」から「立体」にまで考え抜いた時、その「アイディア」は命を宿して動き出すのだと思っています。

小原啓渡

2008.11.03

農業

「の」、「農業」で。

日本の食糧自給率は、カロリーベースで約40%、穀物自給率はさらに低く約30%、先進諸国の中では最低なのだそうです。

飽食の国、日本にいると「食料問題」「食料危機」などのトピックが嘘のように思えますが、世界では8億人以上の人々が飢えに苦しんでいるというのが現実です。
この状況には、国内あるいは各国間の政治的な問題が大きく関与していることも事実ですが、それらを差し引いたとしても、人口増加(2025年には推定80億人)に伴う食糧問題は日々深刻化しています。

食料危機を誘発する要因には人口増加の他に異常気象や農地面積の減少、土壌の劣化、水資源の問題、食生活の高度化などが挙げられていますが、中でも食生活の変化がもたらす影響はかなり大きな問題らしい。

簡単に言うと、肉食が増えると食料危機が早まるという理論です。
「牛肉1キロ=とうもろこし8キロ」つまり肉牛を1キロ太らせるのに8キロのとうもろこしが必要だということです。

僕は農業が主体の田舎で生まれ育ちましたが、「農業だけでは食っていけない」という話を聞き続けていたように思います。

しかし、経済が単純に需要と供給の問題だけで成り立っていると考えるなら、近い将来日本でも、「農業」は重要な産業として再び注目されるようになるでしょう。

小原啓渡

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