小原啓渡 執筆集「諸行無常日記」

2008.12.21

特別目的会社

「と」、「特別目的会社」で。

「特別目的会社(SPC:special purpose company)」とは、資産の原保有者からの買い取りや資金調達のための証券や債権の発行、投資家への収益の配分といった特別な目的のために設立される会社のことで、過去2回、舞台公演をファンド化するために自身で設立した経験があります。

当時「特別目的会社」を用いて小劇場での舞台をファンド化する試みが全国的に皆無だったため、新聞や雑誌などに多く取り上げていただき、その宣伝効果もあってか、一度目は12%、二度目は10%の配当を出すことに成功しました。
ただ、実験的な要素も多く、100万単位の小さな規模のものでした。

その後、不動産に係るリート(Real Estate Inveestment Trust)のスキームに特別目的会社を用いる事例が急増し、最近では破たんするリートも多く、ファンド自体のイメージが決して良いとは言えないために3度目の実施を躊躇してきました。

しかし、失敗例というのは少々分野が違っていても学べる部分は多く、自分の経験と他の失敗例から再度研究、検討をした上で、今一度コンテンツファンドの設立に挑戦してみたいと思っています。

お金儲けの目的と手段としてではなく、リスクを分散しみんなの力で困難な事業を成功させるというファンド本来の意義に徹することができれば、成功の可能性もより高くなるのではないかと思います。

ただし、ファンドは寄付ではなく投資です。
リターンを返す、少なくとも出資者に損害を負わせてはならないということを肝に銘じておかねばなりません。

その責任の重大さ故に実施を躊躇してしまう気持ちがあることも否めませんが、それらの重責を負ってでも、やるに値する社会的価値の高い事業であれば、やるべきなのだろうと思います。

小原啓渡

2008.12.20

ディア・ビーコン

「て」、「ディア・ビーコン」で。

ニューヨークからハドソン川沿いを電車で約1時間半の場所、ビーコン市に2003年、巨大な美術館が生まれました。
ナビスコ社のビスケット梱包工場をリノベートした現代美術館です。

軽工業が衰退した小さな町に500億円といわれる資金がつぎ込まれオープンした「ディア・ビーコン」の「DIA」とは、「貫き通す」という意味、巨大な空間に恒久的に展示されているのは、わずか二十数名の「貫き通した」作家の作品、セラをはじめマイケルハイザーなどミニマリズムやランドアートの粋を集めています。

工場のノコギリ型屋根から入る自然光で作品を見せているために、冬季の閉館時間は日没が始まるころ、4時と早いのですが、天候や日差しの具合によって作品が様々な表情を見せ、何時間いても飽きることがありません。

実際、ビルバオのグッケンハイム美術館で見たセラと「ディア・ビーコン」のセラを見比べるだけで、美術にとっての光の重要性を実感することができます。

フランス、ナント市の「リュイ・ユニック」、そして「ディア・ビーコン」は近代工業遺産をリノベートしたアートスペースとして、自分が手がけている大阪名村造船所跡地(クリエイティブセンター大阪)の理想形でもあると思っています。

ニューヨークに行かれた際は、ぜひ足を伸ばしてみてください。

小原啓渡

2008.12.19

ツンドラ

「つ」、「ツンドラ」で。

ニューヨークから帰国しました。
極寒の中、過密スケジュールで動き回った旅になりました。

帰りの飛行機は旅の疲れで、ほとんど寝て過ごすのが通例ですが、今回は氷雪におおわれた北半球の「ツンドラ地帯」の景色に見入っていました。

フライトの時間や天候にもよるとは思いますが、今回は異様に美しかった。

やはり、飛行機は窓際の席がいいですね。
トイレに立つのに少々不便はありますが、上空から眺める未知なる大地の景観は価値が高いと思います。

夕日や朝日に染まる雲海やその下に広がる海や大地、刻一刻と変化するそれら非日常な光景は何度見てもすばらしい。

旅の大きな楽しみの一つです。

小原啓渡

2008.12.09

チケッツ

「ち」、「チケッツ」で。

ニューヨーク、ブロードウェイ、タイムズスクエアに「TKTS」という劇場の当日券を割引して販売するブースがあります。

いつも長蛇の列が出来ていて、僕自身ニューヨークに行くたびにお世話になるところです。

この日本版のシステムを経産省と協働で立ち上げる準備をしており、その実地調査と関係者のヒアリングのために明日からニューヨークに出かけます。

以前、ニューヨークにある文化財団が主催する国際シンポジウムが京都で行われたとき、そのスピーカーとして呼んでいただいた縁を頼りに、「TKTS」を運営する団体のディレクターにアポイントを依頼しました。

当たって砕けろ的なお願いでしたが、運よくその団体のトップに会ってお話を聞けることになりました。
その他にもニューヨーク市の観光局やジェトロにもヒアリングに行く予定です。

小原啓渡

2008.12.08

タイ

「た」、「タイ」で。

国際文化会議のスピーカーとして「タイ」のバンコクに呼んで頂いたことがあり、その時、「タイボクシング」(ムエタイ)を観にいきました。

日本の相撲のようにタイの国技的な存在なのかもしれませんが、相撲と違うのは、ムエタイには専用スタジアムがあって、ほぼ毎日興業が行われているのと、公式か非公式かはわかりませんが、ギャンブルとしても成立していることでしょう。

観戦するのが初めてだったのと、会議のコーディネートをして頂いた方が一緒だったこともあり、リングサイドの椅子席を購入しましたが、2階席で金額も安い立ち見エリアの方がずっとエキサイティングで面白そうでした。

見渡すところ、立ち見エリアは魚市場の競りのような状況で地元の人達が白熱していました。

エンターテイメントとしてしっかり根付いている感があり、試合を始める前に各選手が儀式的な踊りを踊る時に、タイの伝統的な民族楽器の楽団が生演奏を繰り広げ、何ともエキゾチックな気分を盛り上げてくれます。

日本でも、相撲の専用スタジアムを作り、伝統的な音楽を生で演奏し、毎日興業が行われている状況をつくれば、観光客が結構集まるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

小原啓渡

2008.12.07

育ち

「そ」、「育ち」で。

「あの人は育ちがいいね」などという時、「育ち」に近い言葉は「品」だと思います。

今日、お世話になっている社長さんの娘さんの結婚式に行ってきました。

一世一代の結婚式ですから、女性として最も輝いているのは当然としても、何とも言えない「品」があって、思わず見とれてしまいました。

一度その社長がニューヨークの視察に娘さんを同行されていて、数日ご一緒させていただいたことがあり、普段の姿も知っていますが、「育ち」というか「品」というのは、そこはかとなく醸し出されるものだと感じました。

逆に言うと、いくら飾り立てても、そのように振舞おうとしても、「育ち」だけは演出できないものなのかもしれません。

では、お金持ちなら「品」がいいかと言えば、そうとも限らないし、もちろん親の躾もあるだろうとは思いますが、一つには、無意識的に根付いた家の「誇り」であるような気がします。

小原啓渡

2008.12.06

セルロイド

「せ」、「セルロイド」で。

骨董市などでたまに見つけるとついつい買ってしまうのが、「セルロイド」の筆箱。

僕が小学校の頃は、筆箱といえばほとんどが蓋つきの「セルロイド」製でした。

そんな懐かしさだけでなく、質感や色合い、セルロイド製ならではの柄なども大好きなのですが、最近ではすっかり見かけなくなりました。

昔は東大阪を中心に100軒ほどのセルロイド製品の加工所があったそうですが、燃え易く、耐久性がないなどの欠点と、プラスティックなど新しい素材の普及で生産が減少していったようです。

知り合いがやっている「大大阪」という喫茶店で、大阪の名品と言われる商品を売っていて、そこにはセルロイド製の万年筆とボールペンが置いてあります。

今までに、プレゼント用なども含めて何本か買いましたが、結構貴重で、味わい深く、プレゼントした人にはかなり喜んでもらえました。

お薦めの逸品です。

小原啓渡

2008.12.05

「す」、「筋」で。

「筋を通す」という慣用句、これを理解することは、実践すること同様に簡単ではないですが、人としての信用や信頼を語る上で重要な概念であると思います。

基本的には、ものごとの首尾を一貫させる。道理に適(かな)うようにする。または、然(しか)るべき手続きを踏むということですが、何が「筋」なのか、どこに「筋」があるのかを的確に捉えなければ、本人は筋を通しているつもりでも、筋が通っていないと思われる事態が起こってきます。

しかし、本来「筋」とは、人によって違ってくるものであってはならず、本質的な真理に基づいたものでなければなりません。

筋を通すためには、一般的な道理や常識も大切ですが、相手の価値観の把握も必要です。
しかし、最終的には、相手からの評価ではなく、自分自身にウソをつかない、自分としての納得が重要だと思っています。

「肉を切らせて、骨を切る」という言葉がありますが、肉を切らせても骨だけは守らなければ、筋を通すことで自分を失うことにもなりかねません。

したがって、自己中心的な考え方を排し、目先の損得に惑わされない精神的な真髄(骨)こそが、自分にとっての通すべき「筋」なのだと思っています。

小原啓渡

2008.12.04

新聞

「し」、「新聞」で。

先日、喫茶店で「新聞」を広げると、数ページに渡って同じ企業の全面広告が載っていました。
「何これ、ウザい」と思って違う新聞に変えると、これまた数ページに渡って同じ広告が・・・。

この広告を載せた企業は多額の費用を使って紙面ジャックして、してやったり、なのかもしれませんが、読者は広告を見るために新聞を買っているわけではないはずです。

実際、僕のこの企業に対するイメージはいきなり最悪のものとなりました。
そして、この広告を載せた新聞社に対しても同じく不信感を抱きました。

テレビの場合、民放は基本的にスポンサーからの広告費で番組が作られているから視聴は無料で、NHKは広告がないから有料です。

なら、新聞は?

有料で、広告あり。

広告収入があるから安いということを考慮しても、数ページに及ぶ全面広告っていうのはいかがなもんでしょう?

環境資源の問題、ネットの普及に伴う情報の無料化と伝達スピード、若年層を中心とした読者数の減少等など、このままでいくと新聞の未来はないと思います。

小原啓渡

2008.12.03

山椒魚

「さ」、「山椒魚」で。

「山椒魚」は井伏鱒二の処女作ですが、僕は中学の国語の教科書の中で読みました。

多くの文学少年が一度は洗礼を受けるという「太宰治」が師事した作家として僕も井伏鱒二を認識していて、太宰からの流れで興味を持ちました。

「黒い雨」は映画化もされ有名ですが、やはり隠喩に満ちた「山椒魚」は色々な解釈ができるという意味でも面白く、山椒魚や蛙を擬人化することでより人間の弱さや哀しさを表現することに成功していると思います。

非常に有名かつ短く単純なストーリーなのであらすじは置いておいて、頭の部分を少しだけ。

山椒魚は悲しんだ。
まる二年の発育のために、棲家である岩屋から出ようとすると、頭がつかえるのである。
 「何たる失策であることか!」
 岩屋の中は、体を前後左右に動かすことができるだけで、泳ぎまわれるほど広くはなかった。山椒魚は深い嘆息を漏らして呟いた。
 「いよいよ出られないというならば、俺にも相当な考えがあるんだ」
 しかし、うまい考えなど一つもなかった。

小原啓渡

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