小原啓渡執筆集「諸行無常日記」

2008.08.20

エイズ

「え」、「エイズ」で。

もう十数年前になりますが、僕がテクニカルデレクターをしていた頃、フランス公演ツアーの現地コーディネーターをしてくれたのが、ダミアンというまだ30代前半の男性でした。

パリの空港で初めて会った時、映画「オーメン」に出てくるダミアンとは大違いの優しい笑顔と落ち着いた雰囲気に好感を持って、すぐに打ち解けることが出来ました。

仕事もきっちりとこなしてくれ、僕以外のメンバーに対する心遣いも申し分なく、そのツアーは彼のおかげもあって大成功に終わりました。

ツアー終了後、僕だけ数日パリに残ることにしたのは、彼が「ケイトはいつもホテルと劇場しか見てない、少しはパリを観光したら? 」「うちに泊まったらいいし・・・」と言ってくれたからでもありました。

「二人で住んでるから、リビングのソファーベッドしかないけど・・・」という彼の話から、僕はてっきり彼女と同棲しているのだと思い込んで、彼のアパートに向かいました。

アパートの扉を開けて迎えてくれたダミアンの後ろを、素っ裸の男性が僕の方を無愛想にチラリと見て通り過ぎました。
ダミアンの同居人は男性でした。

そして、彼は末期のエイズ患者でもありました。

ダミアンに全く悪気はなかったと思いますが、彼の同居人である彼氏がエイズだということも知らされていなかった僕は、正直言って、かなり動揺してしまいました。

その頃、僕にはエイズに関する知識が全くといっていいほどなく、しばらくでも一緒に暮らすことに感染の不安と恐怖を覚えたからでした。

最初の夜、リビングのベットの中で、「明日、何か理由をつけてこのアパートを出ようか」と、真剣に思い悩んで眠れませんでした。

朝方、飲み物を取りにキッチンに行こうとした時、彼らの寝室の扉が空いていて、ダミアンが裸で彼を抱いて寝ているのが見えました。

あの時、僕の中で起こった強烈で複雑な感情を今でも憶えています。

自分では理解できない行為を目の当たりにしたショック、一か月近く一緒に仕事をしてきて感じ取っていたダミアンの豊かな人間性の真髄に触れた感動、逃げ出そうとしていた自分の矮小さ・・・。

ほんの数日でしたが、この経験が、「愛」の本質を考え始めた最初のきっかけだったような気がします。

小原啓渡

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