小原啓渡執筆集「諸行無常日記」
2008.06.25
迷惑
「め」、「迷惑」で。
「迷惑」というのは、かけられると煩わしいものです。
が・・・、注意すべきだと思うのは、「迷惑をかけてはいけない」という思いが強すぎて、人に対して「極端に遠慮をしてしまい、何も頼めなくなる」ことです。
もちろん、「迷惑をかけてやろう」「困らせてやろう」という意図があっての「迷惑」や、不特定多数に対する「公共的迷惑」は許せませんが、
「迷惑かもしれないけれど・・・」という認識の下で、敢えて「お願い」しなければならないケースというのもあると思います。
「お願い」というものには、つねに「迷惑」の影が付きまといますが、それでも、お願いした方がいい場合はあるものです。
「お願い」する根本的な目的が、自分も含めて多くの人の喜びや幸せにつながるものなら、「お願い」をすることでそのアクションが加速度的に進む場合もあるからです。
(もちろん、お願いされる方も、その目的をしっかりと見極める必要があると思いますが・・・)
そして、頼まれた段階では迷惑で煩わしいものであっても、結果的に何らかのかたちで社会に役だったとしたら、その迷惑は違った受け取り方になるはずです。
確かに、迷惑をかけないに越したことはないかもしれません、ただ、あまりにそれを怖れ過ぎると「協力」や「協働」のない、希薄でつながりのない社会になってしまう気がします。
自分の信念が愛に基づいていると確信できるなら、迷惑をかける相手に感謝し、必ずお返しをするという気持ちで、思い切って「お願い」してみる、そういった割り切りも大切だと思います。
小原啓渡