アーティストインタビュー
国本浩康(俳優・脚本・演出家)


国本浩康 プロフィール
京都精華大学にて演劇部劇的集団忘却曲線にて演劇活動を始める。
忘却曲線第8回公演「アルヴァレスの隕石」にて初の野外劇にして初の作・演出。
大学中退後、98年、忘却曲線のメンバーを中心に電視游戲科学舘を結成。その後同劇団でほぼすべての作品で作・演出をつとめている。今回の「牡丹燈篭」は8作目。エンターテイメント性の高い迫力の舞台演出で話題を集めている。劇団飛び道具などに客演として出演、役者としても活躍している。


「創造とは何か」をテーマに、様々なジャンルで活躍されているアーティストの方々にお話を伺っています。
今回は『牡丹燈篭』で2度目のロングランに挑戦する、京都の新鋭劇団「電視游戲科学舘」を率いる国本浩康さんにお話を伺いました。

小原
 創造に関して、ゼロから創るというのはやはり大変だと思いますが…。

国本
 僕はゼロから生み出すような感覚はなくて、世の中には既に必要なものはそろっていて、鏡の破片ようにバラバラに砕け散っていて、それを拾い集めて、かた ちにしていく、そういった作業が僕にとっての創造だと思うんです。ただその鏡の破片というのがすごく膨大な数で、集めきれないという、そういうものとの挌 闘ですね。

小原
 鏡っていう表現はとても面白いと思ういますが、例えばお客さんにとって舞台は自分自身を映し出す鏡だと言える部分もあるし、観るお客さんであったり、脚 本家の思いを確かに照り返すような役者って、自己完結的な役者よりもいい役者なのかなと思ったりしますね。

国本
 そうですね。世の中のことすべて、その照り返しというか…。鏡というのは人それぞれ見ると違うじゃないですか。だから国本の姿と自分の姿のとらえ方もそ れぞれにまったく違っていて、結局その姿の見え方を合わせていかなくてはいけない、その作業がものすごく大変ですね。

小原
 確かに、見る角度が少し違うだけで鏡に写り込むものも違ってくる。

国本
 鏡の中にすべてを内包するのは不可能に近いですが、演劇だからそこを目指せると思っています。僕は絵も描くし、立体造形もできるけれども、絵とか、立体 造形とかは自己完結してしまうんですよね。
 舞台って、閉じたり開いたりとアクティブな状況になるじゃないですか。そこが舞台をやっている理由ですね。邪魔臭いなと思うこともありますが。

小原
 鏡を拾い集めてきて、それを構成していく、その断片をつなぎ合わせる接着材的なものは何なのでしょうか?

国本
 固い言い回し方かもしれませんが、時代だと思いますね。役者も含めて舞台上にあるものすべて、時代によって変わると思うんですよね。結局文化は時代に よって左右されるもので、その時々に生きている人によって成り立っていて、その時代、時間の照り返しのようなものですから、その辺がやはりベースになると 思います。

小原
 時代を接着剤にして、時の鏡を創るって感じですね。

国本
 そうですね、時代感覚がめちゃくちゃだと、基本的にコミュニケートできないし、良い作品は創れないと思っています。

小原
 創作のテーマで今こだわっているものは何かありますか?

国本
 表現活動においては、常にサバイバルしていかないとだめだと思うんですよ。普遍的なものをつくりたいと思うじゃないですか。100年後も続いているよう なものを。それってその時々の時代というものをつかんで、次なにがくるか、いかにサバイバルするか、いかにコミュニケートするかというのが、僕自身の今の 主題ですね。

小原
 コミュニケートする、対象は何ですか?

国本
 例えば、いかに舞台を使って観客とコミュニケートをするかに関して言うなら、あまり難しく考えたくないんですよ。やっぱりコミュニケートは簡潔な方がい い。そこで伝わりやすい演劇的衝撃法をとるというか。そういうのがいいなと思っています。

小原
 演劇的衝撃というのは?

国本
 例えば、近所のおばちゃんが商店街をママチャリで走ってますよね。どこでも見かけますが、それが、そのまんま舞台に上がっただけで、なんかすごく衝撃的 なものになる、というようなものですが、基本的に僕はでかいのとか、派手なのが単純に好きというところはありますね。


小原
 本日は有り難うございました。『牡丹燈篭』頑張って下さい。


P.A.N.通信 Vol.44 掲載

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