小劇場ロングランについて
小劇場ロングランの可能性を探る!

このたびアートコンプレックス1928では、小劇場では困難と言われてきた劇場主催のロングラン公演を打ち出します。東京でさえ行なわれることのない新鋭劇団のロングラン公演を、地方都市・京都で何故やるのか?なぜやる必要があるのか?是非、御一読をお願い致します。

■生活の豊かさを提案する
「飽食の時代」と言われて久しい現代日本を、不況の嵐が吹き荒れています。将来的な経済不安から、消費者の財布のひもが固くなった、と言われますが、実際の所は「別に無理をしてまで手に入れたい物がない」という消費者感情がある様な気がします。「プラズマテレビは欲しいけれど、テレビがない訳ではないし・・・、もっと高性能のコンピューターは欲しいけれど、今持っているパソコンで用は足りる」等等。企業戦略に相まって、次から次に発売される製品を、競う様に追いつづける事に人々は疑問を持ち始めています。物質的にいくら豊かでも、それだけで本当の豊かさと言えるのか?物質偏重の社会に黒い陰が忍び寄っています。
 最近発表された消費動向に関する調査では、全体の消費支出は減少しているものの、遊興費や教育に関する比率は増加しているという結果が出ています。これは目に見える物以外の価値が見直されつつある兆候であると言う事が出来ます。無差別テロなどの情勢不安、デフレ、リストラ等経済問題などが渦巻く昨今、ほんの一時でも心から笑え、感動できるものに出会える事は生活に大いなる潤いと活力を与えます。舞台芸術にはそんな豊かさを提示する力が確かにあるのです。人の心を無視して、生活の豊かさも、社会の豊かさもあり得ないことは、テロからの復興を遂げつつあるニューヨークの現状に顕著に現われています。

■芸術環境を整備する
 御存知の様に日本において、劇団に代表されるほとんどのパフォーマンス集団は非常に厳しい制作環境の中で喘いでいます。公共機関からの援助は乏しく、企業メセナも期待できない状況の下、会場使用料の問題等から制作・舞台仕込みに至るまで、十分な時間が取れず、常に妥協を余儀無くされる突貫工事的な公演を強いられています。資質的に高い才能と能力を持った創作者でさえ、現実的な問題に阻まれて、実力を十分に出し切れないでいる状態にいるという事も少なくありません。また、例えクオリティーの高い作品を創作しても、如何せん公演日が短く、評判になる頃には既に公演は終わってしまっているといった状況もあります。

「より完成度の高い作品を観客に見せたい」制作者は誰しも考えていますが、多くは予算的な問題から妥協に妥協を重ねなければならず、満足のいく舞台制作ができないまま、観客はくしくも完成度の低い、クオティーに問題を抱えた中途半端な作品を見せられることになります。つまらない作品を見た観客は二度と劇場に足を運ばないかもしれません。この悪循環を断ち切るには「よりクオリティーの高い作品を作り出していく」以外他にはない様な気がします。制作者が、劇場が、ひいては公官庁がその立場なりに「よりクオリティーの高い作品を作り出していく」ために何をすべきなのか?何ができるのか?を真剣に考え、実行していかなければなりません。
 アートコンプレックス1928は芸術環境の一端を担う劇場として、創作者がよりクオリティーと完成度の高い作品を創り、妥協のない舞台制作を可能にするためには、まず十分な仕込・リハーサル期間を与えなければならないと考えました。しかしそのためには、公的あるいは企業等からのサポートがない限り、制作費は全てチケット収入もしくは関係者の持ち出しで賄う他ありません。動員を増やし、チケット収入を増やす以外手がない訳です。動員を増やすためにはやはり、クオリティーの高いものを創らなければならない。それには金をかければいいものができる、というものではないとしても、多くの場合、多大な経費がかかってくる。このジレンマを壊していくには、リスクを覚悟しても、良い作品を創るために投資し、動員の増加につなげるシステムを創出する必要があると思います。
 一劇場だけの力は、情宣力・公的機関に対する影響力等、とるにたらないものかもしれません。しかし、いくつかの劇場が自らリスクを覚悟し、共同で出資して「よりクオリティーの高い作品を作り出す事」に協力し、共同で情報宣伝をする事でより動員を増やし、複数のプロデューサーが名を列ねる事で、公演に付加価値を与え、助成団体からの支援を誘発し、公演を経済的に成り立たせていく努力をする事は価値ある事であると思えます。ひいてはブロードウェイのシステムの様に、舞台芸術が確かな投資対象となり、企業や一般投資家がこぞって参加してくる事を目指して、まずはシステムとしての成功例をつくる必要があると思います。

■文化から経済効果を引出す
 まず、世界的な観光地と言われる都市、ニューヨーク・ロンドン・パリ等を例に取り、京都との違いを見てみます。確かに京都には寺社仏閣などの文化遺産が数多くあり、桜・紅葉といった恵まれた自然があります。ただ、観光客、特に若い世代に対してこれだけでは十分とは言えません。これは、ディズニーランドを訪れる修学旅行者数がついに清水寺を超えたというデータをみても明らかです。京都は新しい観光資源を求めています。ニューヨーク・ロンドン・パリにはブロードウェイに代表される、エンターテイメント文化がしっかりと根づいています。京都はどうでしょうか?ライトアップされた寺社の夜間拝観や各歌舞練場が行なっている「都おどり」等の公演、南座の「顔見せ」等も貴重であると思いますが、あくまで時季的なものであり、内容も古典芸能ばかりでコンテンポラリーな要素は希薄といわざるを得ず、料金が高いという事もあり、若い世代向きとは言い難い面があります。
 そこで、京都の新しい舞台芸術・エンターテイメントを楽しめる場の提供が必要であると考えました。芸術的な楽しみも含んだ、エンターテイメント性、クオリティーの高い公演は、突貫工事的な制作では期待する事が出来ません。じっくりと煮詰めたテーマ性と十分な稽古期間、妥協のない舞台設営と十分な情報宣伝期間、役者が作品を熟成させていく時間も必要です。ロングラン公演は、「よりクオリティーの高い作品を創作する」上で、短期公演ではなし得ない可能性を持ち合わせています。

今年12月、アートコンプレックス1928ではエンターテイメント性溢れるダンスパフォーマンス集団「コンドルズ」の3度目の公演を行ないました。「12月は京都でコンドルズ」を合い言葉に3年目になりますが、ようやく定着の兆しを見せ始め、コンテンポラリーなパフォーマンスでは異例といえる1000人近くのお客様が、南は沖縄から北は長野に至るまで、全国各地から集まりました。
 アンケートを見ると「コンドルズを観るついでに京都を観光していきます」あるいは「京都旅行がてらコンドルズを観に来ました」というものが非常に多いいことに驚かされました。これはまだ一つの兆候にしか過ぎないかもしれませんが、こうした公演形態がいくつかの小劇場で確立すれば、必ずや京都の観光経済の大きな再生要因になると信じています。

 アートコンプレックス1928は上記した考えをベースに、「クオリティーの高いものを作れば、必ず観客は増える」それならば「クオリティーの高いものを作るために劇場は何をすべきなのか?」この問題提議に答える第一歩として、今回、仕込・リハーサルに10日、公演期間は3週間に及ぶ「電視游戯科学舘」ロングラン公演を決定致しました。「電視游戯科学舘」は京都をベースに活動する新鋭劇団であり、「こだわりを形にする事のできるエンターテイメント集団」です。
 彼らのこだわりが何処まで発揮され、より完成度の高い作品が出来上がるのか、期待と不安が入り交じっています。

 是非とも、御来場、御観覧の上、率直なる御意見・御感想をお聞かせ願えればと思います。

2002年1月
アートコンプレックス1928 小原啓渡

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